ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

友人から立て続けに電話がきた

昨日今日で4人(何ヵ月かぶりがふたり、何年かぶりがひとり)友人から電話が来ました。

のこりのひとりは10日位前に相談にのっていた人で、その後の話の為だったので、必然ですが・・

何かの力が働いているのかしらと思うような出来事でした。

 

何ヵ月ぶりの友人のひとり

時々安否確認の電話をくれたり、陣中見舞いに来てくれる徒歩圏内に住んでいる人です。色々持病があるので、身体がしんどい時の気持ちを共感してくれます。

体調不良で教会を休む事が多く、しばらく会っていないので近々遊びに来るそうです。

 

もうひとり (この友人の事は初めて書くかも)

仕事歴後半の何年か一緒に働いた戦友的な友人です。

彼女、私にとても世話になった、とよく言うのですが、彼女の勘違いだと思います。仕事が早くて正確で、私の先を行っていた人なのにね。感じ方って色々です。

時々様子を聞いてくれます。

一緒に働いていた時、お互いの家の行き来をしていて、(私、その頃は市内にひとり暮らしでした)彼女の家はとても綺麗で、家事のコツ的な事を教えて貰いましたっけ。

頼りになるお連れ合い、お子さん方も順調な人生を歩み、お孫さんも何人か、幸せな家庭の典型みたいですが、彼女の前向きな生き方所以でしょう。

定年前に退職し、お連れ合いの実家のお姑さんの農業を手伝い田舎と市内を行ったり来たりの生活をして、お姑さんを見送り、今は殆ど田舎暮らし。野菜を出荷しています。

 

何年かぶりの友人

関東時代4年間一緒に働いた友人で、当時三人娘(笑)と言われたうちのひとりです。

50年の付き合いなんだね~と話しました。

当時同じ職場だった人達とは、中年になってから同窓会的な集まりを持つようになったので、会う機会が増えました。メンバーの何かのイベントに行く機会に3人で会ったり、お連れ合いの用事で当地に来るのに同行したのを機会に会ったり、ふたりがこちら方面の旅行に来てくれ一緒に観光したりの付き合いが続いていました。

電話の趣旨は、コロナ禍で同窓会ができなくなっていましたが、今年もしないとの連絡でした。

あったとしても、私は行けませんでしたけどね。

腰椎の手術の事も、股関節の手術の事も知らせていなかったので驚いていました。

若い頃、すべてにおいて非の打ちどころがない彼女を見て

天は二物も三物も与えるのだな

世の中不公平だな

と思っていたのです。

今となっては、自分の心の持ちようの問題だったとわかりますが、当時はそう思えなかったのです。ホントちっちゃい人間です。

電話を切ってから、ほろ苦く昔を思い出してしまいました。

 

因みに(3人娘の)もうひとりの友人は、欠礼葉書を送った時に電話をくれたので、近況報告ができたのでした。

初盆だからとお供えにとかの地の特産の果物を送ってくれました。

その時にも電話で色々お喋りしました。

そういえばいただきっぱなしでした。

何か送らないと。

 

おまけ

シンク下の片付けで

酸素系漂白剤4本発見!(大3本、小1本)

顆粒なのでゴミに出してよいものだろうか、溶かして流しに捨ててよいものだろうか

薬品なので、どうしたものか悩みます。

毎日少しづつ流せばよい?

私は買った覚えがないので、母が買った物でしょう。

掃除用重曹の袋や掃除用にと買った安い食酢も発見。

母は綺麗にする気満々だったのですね(笑)

 

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