年末、姉が持って来てくれた本である。
彼女の本は殆ど(に近いくらい)読んでいる。殆ど姉が買った。
彼女の両親の話は時々文章に出てきていたが、この本を読んで、改めてすごい両親だったのだなと、そしてその中でよくぞ多くのファンを持つ魅力的な作家となる人生を歩んでくれたと思った。大変でしたね、頑張ったのですね、と拍手を送りたい。
それにしても壮絶な子供時代を送ったものだ。
世の中いろいろな資格がある。
超難関の国家資格から、試験なしのほぼ名前だけのものまで。
まあ、たとえ超難関の資格を持っていても、中にはふさわしくない人間性や仕事ぶりの人もいますけどね。
親になるというのは資格も試験もいらない。資格や試験があったらそれはそれで恐ろしい。色々な人間がいて、親になり、いろいろな人間が育てられる社会があたりまえなのだろうが、彼女のような家庭環境で育った精神的な過酷さは想像を超える。
色々と考えさせられた。
自分の親の事、家庭環境を考えた。
私は可愛がられて育てられたという実感がない。
姉、弟の間に挟まれた真ん中で、存在感のない子供だったようだ。
そして、愛情いっぱい!というタイプの親ではなかった。
父はかなり管理的な人で、私は正直好きではなかった。
貧しい農家の次三男に生まれ、高等小学校を出てすぐ丁稚奉公から始め、63歳まで勤め上げた。後半は大卒の人達の中でさぞ苦労した事だろう。尊敬はしていた。でも、怖い父親だった。
進学も、当初『女に学問は要らない、お金も出さない、高卒で就職しろ』という父の方針をなんとか覆し、『自宅通学で、国公立ならば許す』という道を姉が開いてくれた。授業料1ヵ月1000円の時代の話である。
学生運動が激しい時で、父は、姉が大学から持ち帰ったチラシのチェックまでしていたそうだ。
姉はその管理から逃れる為に早く家を出たいと思っていたそうで、在学中に結婚相手を見つけ、卒業と同時に他県で結婚生活を始めた。
母と言えば、やりくりの上手さ、社宅の付き合いの上手さでは父が褒めていたが、居娘の気ままさで、父をないがしろにするところがあって、子供心に、母が離婚を言い渡されそうで怖かった覚えがある。姉の話では(私は忘れたが)子供3人で、「親が離婚したら、どっちに行く?」と相談した事があったそうだ(笑)。
quetzal2013.hatenablog.com
私は人生がややこしかった時、父に
「家の敷居を跨がせない」と言われ、
「よ~し、それなら、金輪際実家の敷居を跨ぐものか!」
と固く決心したのに、結局、同じ市内に住んでいた私が、母のサポートで父の介護に関わり、最終的には実家に帰り、母の介護をする事になった。一番かわいがられて、大事にされていたひとり息子の弟が、一番気楽な身分である。自覚もいまいち。
姉が言っていた。姉の友人の話だそうだ。
親との縁が一番薄い子供が、親の介護を担う例が多い と。
私の事ですね。
めぐり合わせってそんなものでしょうね。
姫野さんの本を読んで、他にもいろいろ思い出してしまった。
封印していたのに・・
先日の里山歩きで カラマツ越しに空を見上げる
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