母の年賀状はしばらく前に出来上がっていて、今年の年賀状、住所録と共に母に渡して、最終点検と、添え書きを頼んでいた。
自分の年賀状ができたので、
「一緒に投函するからお母さんのをちょうだい」
と言った。
母
「え?渡されたっけ?」
どこにしまったか忘れたらしく、しばらく探していた。
なかなか見つからない。
ようやく発見。
私
「住所録と合わせて確認するから、住所録もちょうだい」
母
「住所録?」
渡された記憶が曖昧のようだ。
見つからないので、仕方がなく、あて先を一通りメモ。
そのうち母発見。やれやれ。
一緒に渡した今年の年賀状は見つからないので、この日は諦めた。
母
「今年は欠礼葉書が来ないね」
(確か2通来ているはずだったが、どこかにしまい込んでしまったようだ)
私
「来ていたよ。その人達分の年賀状は作らなかったよ」
母
「そうだっけ?」(未だにその欠礼葉書は見つからない)
何やかやあったけれど、無事投函
2日後今年の年賀状は見つかった。
今回の事で、何かを”母に託す”時、私が把握した上でなければとつくづく思った。
年賀状を出すこと自体、考えるべきなのかも。
母を見ていると、人生の幕引きを前にどんな準備をすべきかとか、もっともっと早い時期に考え、行動する必要があると思う。
今となっては遅すぎる。
そして別の事件が!(大袈裟(笑))
手洗いしようと、昨日洗面所に置いておいた、薄手のセーターが見当たらない。
私の洗濯物入れに入れておかなかった私が悪い。
あちこち探したがない。
母が自分の物と思ってどこかにしまい込んだのではないだろうか。
母に聞いたが、覚えていない。
行方不明のまま年を越すになるのかな。洗濯したいのに・・
それはともかく昨日の夜から黒豆を煮始め、完成した。上手くできた。
明日、教会へ持って行き、クリスマスプレゼントを下さった方へ、おすそ分けするつもり。
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