ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

母が入院しました

昨日はとてもショッキングな事件が起きましたね。

私は、母の転院先の病院で受付し、待機し始めた時見上げたテレビで観ました。

銃撃直後でした。

その後色々あって、帰宅したのが夕方4時過ぎ、遅い昼食を摂り、気分転換に草取りをして、薄暗くなったので、家に入って観たニュースで、安部さん死亡を知りました。

SPがいたのでしょうけど、機能していなかったのかな?

きっと責任を追及されるでしょうね

安部さんが亡くなった事で、政治の構図が変わるのかな?

私は、アベノミクスのおかげで、リーマンショック以来の大損がかなり取り戻せた恩はあるのですが、”桜を観る会”の諸々とか、”加計学園問題”とか、”森友学園問題、近畿財務局職員の自殺問題”とか、胡散臭くて、誠実とはとても言えない対応に嫌気がさしてはいますが、だからといって殺されて良いわけではなく、ショックでした。

 

母の事でした。

朝食の途中の7時前、施設から電話がありました。

嘔吐、発熱があり、系列の病院に救急搬送されたとの事でした。

すぐに病院に向かいました。

病室に入るまで待たされ、病室の母に会う事ができました。

声を掛けても反応がありません。

熱は下がり、36度代でした。

検査結果が出て、医師から説明があるまで、書類に記入しながら待ちました。

10時過ぎ、医師に呼ばれました。

胆石による胆管炎との事で、

治療をするなら此処ではできないので、大きな総合病院に問い合わせるが治療を希望しますか?

と聞かれ、炎症が進み、食べる事ができないまま召されるのは可哀そうで、治療できるなら(できない場合もある)治療してもらおうと、お願いしました。

延命措置は希望していませんが、はっきりとした疾病があるなら、その治療はすべきと思いました。

姉や弟に相談すべきなのかもしれませんが、事後報告にしました。

以前の胃癌の手術方法によっては治療ができないそうで、その記録を調べるのに手間取り、少し待たされましたが、総合病院の受け入れがOKとなり、救急車での転院となりました。

半日だけでも入院は入院なので、書類に記入し、支払いもして、退院の書類も貰い、救急車に乗りました。

母がらみで救急車に乗るのは、3回目かな?

カーテンが引いてあるので、どの道を走っているのかわかりません。

自宅から近い病院ですが、私も家族も掛かった事がありません。

救急受付で手続きをして、待機の為に座って見上げたら、安部さんの銃撃のニュースだったのです。

CTを撮る為の問診と承諾の署名をして、更に待機。

検査後、しばらく母のベッドそばにいられたので、声掛け。やはり反応なし。

手足が冷たくて可愛そうで、さすって温めてあげました。

医師からの治療の説明と承諾の署名をして、入院手続き、病棟へ移動して待機。

治療が終了し、医師の説明を受ける為また移動。

相談員との面談でまた移動。

終ったら午後4時近くでした。

朝7時頃の朝食以来飲まず食わず、かろうじてトイレに2回行っただけでした。

病棟に行く時、記憶しながら歩いたつもりでしたが、なにせ広い病院で、結局どこをどう歩いたのか覚えられませんでした。

売店を見つけ、昼食のミニ弁当を購入。

車を置きっぱなしだったので(病院の了解済み)母が着ていた最初の病院の病衣を返しながら、タクシーで最初の病院へ。1320円也(3~4kmかな?割に近いです。自宅と丁度正三角形の感じです。)

病棟で、病衣を返し、看護師長さんに報告し帰宅。

まず水分補給。ミニ弁当を食べ、お昼の点眼はできませんでした。痛み止めの服薬がなくても大丈夫でした。杖もなし。というか忘れた(笑)。この日の歩数は約2500歩でした。

長い一日でした。

 

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