ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

母転倒!幸い骨折ではありませんでした 

朝4時頃、センサーチャイムで起こされました。

その前2回(21時頃、23時半頃)トイレ介助が上手くいかず、2回共リハビリパンツの背中側の外側を汚され、交換したので、どうしたものか悩みながら寝ました。

こういう交換は度々あるのです。

尿パット交換だけにしたいけれど、本人が理解できません。

本人に合わせるしかありません。

 

そんな中の今朝

内心『慌ててトイレに連れて行っても、また無駄に汚される』

それで

「慌てなくていいから、リハビリパンツと尿パットがあるから」

と待ったをかけ、母のそばにすぐには行きませんでした。

ドタン!

ベッドの横に母が倒れていました。

あとで見守りカメラで確認したら、一度立ったのを、私が待ったをかけたので、ベッドに座ろうとして座り損ね、横に倒れ落ちたのです。

私のせいです。

骨折して人工骨頭が入っている左足を痛めました。

痛くて動けないというので、薄い布団を下にいれ、枕と掛け布団を使いそのまま寝せる事にしました。

私は母のベッドに寝て、様子を見ようと思っていましたら、しっかり寝てしまい、目が覚めたら6時45分でした。

緊張感がないですね。

母も起きていました。

痛い痛いと言いながらもベッドによじ登り、横になれました。

 

朝食の準備をしながら、どう病院に連れて行こうか考えました。

車椅子のタイヤを拭いて、上にあげ、家の中の移動は車椅子にしました。

右足は無事なので、移乗は一部介助です。

食欲は普通(笑)

食後すぐに便意の訴え

トイレで排便 (リハビリパンツからオムツに交換)

ベッドに横になってもらい、オムツ整え

この時点で、すでに9時過ぎ

午前中の病院は混雑しているので、午後行くとして、

”救急車”

という感じではなく、

急に介護タクシーを頼めるのか?

というのもあって

不安でしたが、頑張って私が連れて行く事にしました。

そろそろ昼食だから起こそうと母の部屋に行ったら、すでにベッドに端坐位になっていましたから、骨折ではなさそうでした。

着替えは諦めパジャマにひざ掛け、上は毛糸のチュニックと上着を着せて、病院へ。

仮に入院となってもよいように、いちおう車に色々積んで出かけました。

移乗が全介助だったら、救急車を呼んだでしょうが、そうではなかったので、大事(おおごと)にならないで済みました。

結果、レントゲンでは骨折はなく、打撲でしょうと、痛み止めの内服薬と湿布をもらって帰って来ました。

本来、半日のディサービスの日だったので、午前中にお休みの連絡と、夕方報告の電話をしました。

今週末の1泊2日のディサービスも休む事になりそうです。

本人は今歩けないし、頻繁なトイレ介助が無いので、私は精神的には楽かな。身体的には回数は少なくても一回の介助の質が重いので、結構しんどいですね。

夕食もしっかり食べ、痛み止めの内服をして、本人のたっての希望で、就寝前はトイレで排尿し、オムツ類を交換し、湿布を貼って、いつもの時間に就寝しました。

これからしばらくは、今日のように、朝夕のトイレ介助だけで済みそうです。というか、私にはそれが限界です。

 

病院に連れて行きながら、

『入院になったら、本人には申し訳ないけれど、今面会禁止が続いているので、私は楽ができる』

などと不謹慎な事も考えていたのでした。

一方で、骨折していたら、母に申し訳なくて、自分を責めて責めて、となっていたでしょうね。

入院とならなくて良かったです。

 

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