ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

未破裂脳動脈瘤 その13 2年目フォロー検査入院

入院準備についてはこちらの記事参照 

quetzal2013.hatenablog.co

入院

1日目

姉は仕事の都合があり後半の担当。弟は午前中に到着するが、入院には付き合わなくて良いと言ってあったので、ひとりで公共交通機関で入院。

入院物品レンタルのおかげで大荷物にならなかった。後の洗濯の事等も考えると、手間が減って確かに良い面もある。

受付を済ませ、身長体重測定後、病室へ。病院の都合で個室だった。

病衣に着替え、問診、血圧測定、採血、採尿。

CT、レントゲン(胸部、頭部)

弟からメール 父方の叔父他界の知らせ

数年前脳梗塞でこの病院に救急搬送され、意識不明のまま、長期療養型の病院に転院し、長い入院生活を送っていた。弟は帰る日を1日延ばし、姉はもともと来ることになっていたので、母、姉、弟は葬儀から火葬、法事まで出席できることになった。母、弟は通夜も。地元の私が出席できない皮肉なめぐり合わせ。子供の頃から可愛がってもらった叔父だったのに・・悲しい。この病院に何度か見舞いに来たのだった。

2日目 検査9時30分~

朝食もないし、だ~れも来ない。ぼうっとテレビを観ていた。

9時近くになって、ようやく手術のいでたちの看護師が来て、てきぱきとあっという間に準備。準備の途中に弟到着。外で待っていてもらう。

間もなく検査へ。1時間位で終了。止血処置の後病室へ。

2時間あるので、その間に弟は喪服を買いに外出。義妹へ連絡をとれたのが遅くなり、宅配が間に合わないので、買わなければならなくなった。予定外の出費で気の毒。

飲食OKとなり、弟介助で食事。なんと1年前と同じ献立だった!検査後の食事って同じなのかな?中年?(老年?)の男性が食事介助をしている図というのは、客観的には他の人に見せたくないというか、申し訳ないので、個室でよかった!

食事の後弟は帰って、母と、叔父の通夜に行った。

なんとか6時間を過ごし、解放された。

洗面所で、洗髪してさっぱり。

3日目

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病室が東向きだったので朝日がきれいだった。

MRI 

入浴

弟は法事まで出て帰ったとの事。

4日目

姉が来て、一緒に医師の話を聞く。

瘤の入口に少し血液のにじみがあるが、1年前と同じなので、次は1年後外来のMRIでよいとの事だった。

支払いを済ませ、姉運転の車で帰宅。

今回の支払いは限度額適用認定証を必要としなかった。

住民税非課税と課税を行ったり来たりしているので、しかたがない。

姉は夕方帰っていった。

検査入院終了

個室は

寂しい! 他の人とおしゃべりができない。

     人間観察ができない。

     私に用事のある人しか来ない(あたりまえ)。

気を遣わない  音を出してテレビやラジオを視聴できる!

        落ち着いてトイレにいられる(笑)

        見舞客と気兼ねなく話ができる。

物騒 貴重品を置いて病室を空けられない。戸を閉めたら分からない。人目がない。

 

入院グッズ

今回初めて、モバイルルーターと共にタブレットを持ち込んだ。その為、読書やテレビの時間が減った。私はスマートホンを持たないが、去年から、タブレットで、ラインをしたり、ネットを見たりするようになった。ブログの投稿もするが、入力に時間がかかるのが難点。皆様のブログをよく読む。

保険給付手続き終了

今回は忘れずに入院中に頼んだ。診断書代7560円也。高いね。

前回と同じ45000円(5000円×4+25000円)

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その12 1年後のフォロー検査入院

入院の2ヶ月位前、検査入院の通知が来た。今度は3泊4日。姉に連絡。

限度額適用・標準負担額減額認定証 申請

この年は、住民税非課税世帯!なので、非課税証明書をとり協会けんぽに送り、認定証をもらった。限度額 35400円  

準備

前年の入院の事を思い出し、襟元、袖口のスース―対策をたてようと考えた。

同室の方で、肌着を敢えて前後逆に着て、襟元が寒くないようにしている方がいて、うまい事を考えたなあと感心した。

私は安全ピンで病衣の襟元を寄せていたら、看護師さんにダメ出しされた(笑)。当たり前。洗濯バサミにしたら、じゃまっけ。

袖口スース―については、袖口をゴムで締めた薄手の上着が良いなあと思い、薄手の割烹上着を探したが、ないので、自分で作ることにした。

手持ちの布で薄手のジャージがあったので作った。最初ダブルの打ち合わせにしたら、とっても変。それで袖をゴムで絞った半纏の形にした。

着てみると、旅館の番頭さんみたい(笑)。まあいいか。

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他はこれまでと同じ。

入院

1日目(休日)

病室へ 病衣に着替え、身長体重計測、問診、書類に署名。姉帰る。

2日目

採尿・採血・レントゲン・CT

検査準備 着替え、弾性ストッキング、オムツ、尿管、点滴、前もって腰に湿布

予定時間より2時間位遅れ、居心地が悪い状態でずっと待たされた。

検査自体は1時間位であっさり終わった。

カテーテルを入れていない左足は動かして良いそうで、ずいぶん楽だった。

検査が遅れた為飲食OKになったのは午後3時頃だった。

食事介助が済んだところで、姉には帰ってもらった。おにぎりとおかず色々。

ジャージの半纏を前から袖を通したら具合の良い事!襟元袖口のスース―がなく快適だった。皆様にも教えて差し上げたい位。ってそれぞれに工夫なさっているのでしょうから大きなお世話かな。

無事6時間経過し、解放され夕食。

洗面所で洗髪。さっぱりした~ 

明日24時までは屈伸と正座はダメ。(前の検査でも同じだった)

3日目

入浴

MRI

4日目

主治医より

順調。1年後検査入院。

支払い後帰宅。限度額(35400円)に食事代、病衣代等が加わる程度だった。

ありがたいような、申し訳ないような。

入院グッズ

半纏はヒット!

ストロー穴がある蓋付き100均のカップも使い勝手が良い(最初の入院から愛用)

今回の入院で驚いた! 

検温が簡単になっていた!看護師が小さな器具を患者のこめかみに向かってピッとするだけ。すご~い!

未破裂脳動脈瘤の治療はクリッピング術、コイル塞栓術の他にステントを入れる方法が加わっていた。同室の患者でその治療を受ける(受けた?)方がいた。そういえば検査入院の少し前、テレビでも取り上げられていた。

 後日談

 検査入院後半年位経った頃、旧い保険を年金として受け取る手続き中に、ふと思い出した。

新しい保険は、入院1日目から給付金が出る。あとカテーテル検査ももしかして該当になる?担当に聞いてみた。担当が上に確認したら、該当になるとの事だった。

それで、それから手続きした。45000円入院(5000円×4日)+検査25000円給付されたが、病院を2往復し、診断書代7560円を出し、保険会社の担当とのやりとりの手間があり、をどう見るかはそれぞれの判断にお任せ。

 

 つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その11 半年後のフォロー検査・追跡調査・保険

フォロー検査

 4ヶ月後、治療後半年の検査は外来でのMRI検査となったとの事で、日程の通知が来た。姉にその旨連絡。

MRI検査

日を改めて受診。主治医だった。異常なく、半年後(術後1年)は検査入院との事。

追跡調査

 同じ頃、病院から、退院後の追跡調査のような物が来た。

なるほどね。

内容は「普通に日常生活を送っている」から「介護状態」~「死亡」まで、いくつかの選択肢から選ぶ形だったような・・

保険

初めて給付金をもらって、それまでの自分の保険が旧い物だと実感したので、変更する事にした。周囲の話を聞いたり、調べると、保険自体要らないような気がするが、現在契約しているのだから、それをある程度活用しようと考えた。半分は65歳から5年間年金としてもらう形にして、半分を新しい保険にした。給付金を受け取る手続きの中、心が動いていると見透かされたらしい。担当とその上の人が来て、熱心に(笑)説明してくれた。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その10 退院後 

退院当日

 退院したその日から、家事が待っていた!(当然の事)

その日は荷物を片付け、洗濯。病院で洗濯した物も、改めて全部洗濯。

掃除もしなければならないが、退院した日は、さすがに気力が出ない。

昼食、夕飯はあるもので作った。病院の精進料理から解放されたのは嬉しいが、座っていて出てこないのは少々辛い。できるのを待っている人もいるし(笑)

退院2日目

タオルケット等の大物の洗濯が残っていて、それを洗濯。

郵便局、銀行への用足し。歩いて10分位の所なのに、往復したらへとへとだった!

掃除の気力はまだ湧かない。

母が所用で外出し、デパ地下で鯛のアラを買ってきた。デパ地下の魚はとても美味しい。でも高い!アラは美味しさ変わらず、お手頃価格。だからすぐ売り切れる。彼女は鰤や鯛のアラを見つけると買ってくる。料理するのは私・・

この時は、流石にため息が出た。でも料理した。

以前お祝い事の折りに尾頭付きの鯛があり、それで鯛飯を作ったら美味しかった。アラでも結構身が付いているし美味しいのではないかな?と思って作ったら、美味しかった。以来、鯛のアラを見つけると、鯛飯を作る。貧乏料理だけど美味しい。

軽く塩をして、焦がさないように焼いてから、昆布と酒、塩と共に炊く。クックパッドを参考にした。

話を戻して・・

退院3日目

久しぶりに車を運転し買物に出たら、信号無視しかけた。危ない危ない。

身体が痛いし、体調不良。

でも家の中汚すぎ、隅々まで念入り掃除。

姉も掃除はしていたらしいが、自宅のようにはできないだろうからしかたがない。

退院4日目~ 

近くの公園を散歩し体力回復に努める

5日目から隔週のカルチャー再開

退院後数日でほぼ元の生活に戻った。

 

保険会社へ、書類を提出 → 3日位で振り込まれた(105000円)

      入院給付  5000円×11日(15日-4日)=55000円

      手術給付 50000円

治療入院での支払いは限度額適用認定証を出したので、約80000。ありがたい。

検査入院の支払いも約80000円だったが、高額療養費の申請をしたので約18000円戻り、6万ちょっとの支払いだった。

 

 つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その9 手術後

手術後3日目

朝食 側臥位で摂る。おにぎり おかず少々

尿管がとれた!

清拭 手の届く所は自分で、背中、足は介助。

ベッドで身体を起こしてよくなり、車椅子の介助を受けトイレに。車椅子からの景色は日頃とは違うので貴重な体験だった。移乗は見守り、歩いてはダメとの事。

昼食 中華丼 普通の食事!

午後点滴終了!

ナースコールで何度かトイレへ。

外で待っていられると出るものも出ない(笑)感じがして、

「10分後に迎えに来てください」等と頼む事を思い付き、我ながらgood ideaだった。

身体が自由になったので、入院を知っている友人にメールで報告。

氷枕と痛み止めのおかげで、久しぶりに数時間眠った。

また、氷枕と痛み止めをお願いする。

4日目

 身体中が筋肉痛。

朝9時以降トイレまでの歩行OKとのこと。最初だけ看護師見守りで歩いた。

メールやテレビで過ごす。頭痛もさほどでなく、順調。

夜はうつらうつらで過ごす。

5日目

内服

主治医より 順調とのこと

行動の制限がなくなる

シャワー浴 さっぱりした~  洗濯

弟来る

読書 テレビ メール

7時間熟睡 すごい!

6日目

内服

読書 テレビ メール

弟来る

7日目

内服

入浴

元同僚を見かけた。危ない危ない。

読書 テレビ メール

8日目

採血

内服 自己管理になった

MRI

退院の話が出ない?そろそろのはずだが・・

9日目

内服

洗髪

姉来る。 丁度姉がいる時看護師が来て、明日退院との事。

10日目 退院

姉に来てもらい一緒に医師の話を聴く。

医師より

3ヶ月分の薬を処方された。以降脳梗塞の可能性あり。

生活制限はほぼなし。当分(1ヶ月位)正座、和式トイレはダメ。

フォロー検査は、半年後、外来か入院かは未定。

 

ナースステーションに挨拶をして、事務で会計をして、帰った。

仕事の都合があり、姉はすぐ帰った。

退院したらすぐ現実の日常が待っていた。(笑)

術後の期間について

術後間もなくは、やけにリアルな幻覚のような夢を見た。どうも全身麻酔の影響らしい。

身動きがとれない期間の病衣の襟元袖口の肌寒さ。

身動きがとれない時、手鏡があるとよかった。

 

 つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その8 手術(コイル塞栓術) 

手術当日

 内服

手術着に着替える(肩が紐で結んである、カテーテル検査の時と違う物だった)

荷物をまとめロッカーに預けるべく姉に託す

同室の方々に挨拶をして、歩いて手術室へ

手術台に寝て、「これを入れるのですよ」とプラチナコイルを見せられた(たぶん)

麻酔をかけられ意識が無くなった

 

声を掛けられ、意識が戻り、目に入ったのは主治医と姉の顔

ICU

酸素マスクを外されたが、うつらうつらすると血中酸素濃度が落ちるらしく、鼻チューブの酸素を着けられた。

名前、生年月日、場所、月日を何度も何度も聞かれる。

挿管されていた為か声がかすれうまく話せない。

うつらうつらがなくなった夕方から、辛いこと辛いこと。

右腕には血圧計が着いていて、定期的に計測される。その度に腕が締め付けられ目が覚める。心電図のパッチも着いていたと思うが、ここは記憶が曖昧。左の前腕には点滴の針。右足は固定、尿管も着いて、身体の自由が利かない。

それでも夕食がきた。チューブのゼリーを自分で食べた。こういう状態でも歯磨きはきちんとさせられた。

腰が痛くてたまらず、湿布を貼ってもらう。頭痛も酷くて、薬をもらった。

見える範囲は限られているし、ド近眼の私は眼鏡がないと周りがよく見えないが、開頭手術をしたらしい人が呻いたり、とんちんかんな事を言ったりしているのが聞こえたり、真夜中に救急搬送されたらしい人が入ってきたり(たぶん)。緊迫した雰囲気の中、看護師が動き回っていた。

ICUは意識のない状態で過ごす人が多いのだろうが、私は、痛いし身動き取れないしで眠れない長~い長~い夜を過ごしたのだった。

手術後2日目 午後病室へ

繰り返し名前その他を聞かれる。

朝食 おにぎり1個 ヨーグルト おかず少々 歯磨き

病衣へ着替え 清拭 陰部洗浄 湿布 看護師さんの手際の良さと安心安楽さに感謝!

昼食 おにぎり おかず少々 歯磨き

午後元の病室へ

顔ぶれも同じで、皆さんと再会を喜んだ。姉も来ていて少し話す。間もなくベッドのままMRIへ呼ばれ、それを機会に姉は帰宅。

ベッドは30度まで起こせるようになり、少し視野が広がる。夕食は側臥位で摂った。

頭痛が酷く、痛み止めをもらい、氷枕もあててもらった。

点滴と、尿管で寝返りもままならず、腰痛、頭痛で眠れない。肌着を着ていないのでスース―して寒い。

 

つづく

 

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