ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

きれい好き過ぎる友人 

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記事とは無関係ですが、3月3日なので。母作です。花瓶代わりの徳利🍶(笑)で大きさがわかります。

 

仲の良い友人ふたりとのお喋りの中で

友人

「年を感じる・・最近は1日おきにしか掃除機をかけなくなった。」

私と別の友人は、絶句。コメントができない💦

 

現役時代、私は掃除は週1回週末にしかしなかった。家にいるようになって、日中家にいる人間が増えたので、埃っぽいなとは思うが、やはり原則週1回しかしない。どれだけ無精なのだろう。身内等の泊まり客がある時はもちろんその前後にも掃除をする。

きれい好きの友人は現役時代も毎日掃除機で掃除をしていたそうだ。お連れ合いも現役で、日中家に誰もいないのに、である。

 

ある時友人に聞いた事がある。

「早朝から夜遅くまで出掛ける時はどうするの?」

友人

「夜、コロコロをかけるだけで我慢する。」

またある時

私 「この前浴室のカビ取りをしてね~」

友人 「ふ~ん、私は毎日お風呂から上がる時に、乾いた専用タオルで浴室内を全部拭き上げるから、殆どカビは生えないよ。そのタオルは、雑巾とは別に洗濯するの。」

私ともう一人の友人・・絶句

姉が来た時にその話をしたら、

姉 「私は結婚した時からそうしているよ。排水溝も毎日洗うよ。」

私再び絶句。

私ってかなりの無精者だったという事?

 

その友人と

 1月一緒に出掛けた時、帰ってから、身ぐるみ、ダウンコート、帽子、手袋、バッグまで洗濯したので、寝たのは午前2時をまわっていたそうだ。

その時、ホテルで、「入浴はシャワーだけ。バスタブに湯をはっては入らない。誰が使ったか分からないから気持ちが悪い。」との事。「布団に直接肌が触れないようにして寝たい。」とも言っていた。

でも、温泉は好きで大浴場に皆で入る事はOKなのだ。

矛盾していると思うと自分でも言っていた。

 

彼女のきれい好きエピソードは他にもあるが、またそのうちに・・ 

 

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北大路公子が面白い! 「生きていてもいいかしら日記」 *ちょっとブレイク*

以前、本屋で偶然買った「生きていてもいいかしら日記」、あまりに面白くて、姉に貸した。以来、姉は本屋で見つけては買って持ってくる。

札幌在住のエッセイストで、日々の出来事、自分の事、家事の事、御両親の事、北国の生活の様子等を書いているのだが、「そうそう!」「へえ~」と飽きさせない。(読書感想文は、やっぱり苦手(笑))

「苦手図鑑」

「石の裏にも三年」

「頭の中身が漏れ出る本」

「枕もとに靴」

「最後のおでん」

「ぐうたら旅日記」

Amazonで検索して出てきたこれらの本は全部読んでいた!

自分で買ったのは「生きていてもいいかしら日記」だけ。姉に感謝!

 

人込みの中では読まない方がよい。思わず声を出して笑ってしまうから。

 

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未破裂脳動脈瘤 その7 治療入院

手術まで

1日目 

姉運転の車で入院。医師からの話はないとの事で、姉は帰った。

血圧測定、検温、問診。

レントゲン(胸部、頭部)検査後病室に帰る時、仕事で来ていた元同僚とバッタリ会ってしまった。入院の話は極々限られた人にしかしていなかった。元の仕事は病院にも出入りしていたので、階段を使う等元同僚と会わないよう気を付けていたのだが、うっかりエレベーターに乗ってしまったのだ。彼女は彼女で、病気療護後復帰して間もない時期で、私が退職した時はまだ休んでいて、退職の挨拶を直接していなかったので、お互い思う所があった。特に親しくはなかったのだが、以来年賀状で近況報告をしている。これも縁だね。

栄養士より話:コレステロールが高めなので、脂質異常症食だそうだ。

入院中精進料理のような食事ばかりだった。厚揚げ、油揚げ、高野豆腐、ガンモドキ等々大豆製品オンパレードだった。1600㎉で病院食以外食べてはダメだったが、私にはご飯の量は多くて、残す事が多かった。退院後体重を計ったら、少し痩せていた。

ブラックコーヒーはOKだったので、姉や弟が来る時に、必ず近くのコンビニで100円コーヒーを買ってきてもらった。自販機のブラックコーヒー(140円)はいまいち、食堂のコーヒー(210円)は高いし味もいまいち。同室の人にもよく頼まれた。(もちろん許可をとった)

2日目

内服(3種類)

採尿、採血

入浴

手術時間や必要な物について説明を受けた。

3日目、4日目

内服以外なし

週末は弟担当。母の為に来ているので、病院には来なくてよいと言っていたが、コーヒーを持って来てくれた。

5日目

内服

麻酔医が来た

入浴 洗濯

姉が来て一緒に、ICUに持ち込むものに名前を付けたり、点検をした。箸、スプーン、フォーク、歯磨き、歯ブラシ、プラスチックカップ、タオル類、タオルケット等すべてに記名。

一旦ベッドを空けるので荷物をまとめ、ロッカーに預けることになる。

この5日間は?

暇だった。人生でこういう時間ってそうそうない。辛い自覚症状があるわけではないので、ありがたい5日間だった。

6人部屋で、色々おしゃべりした。それぞれ入院理由は違うが、基本ADL自立の人達。

ペン習字の練習をした。(その時だけだったので、全く身に付かなかった(笑))

読書: 持参した本、病棟の本 たくさん読んだ。

携帯メールはOKだったので、色々いじっていたら、知らなかった機能がわかった。

 

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未破裂脳動脈瘤 その6 治療入院を前に

 約15日間の本番入院を前にすべき事

健康保険限度額適用認定証の申請

検査入院が約8万円かかった。早めに認定証を貰っておけば申請の手間がなかったのだが、慣れない事なのでしかたがない。返金の申請と、認定証の申請をした。任意継続保険なので「協会けんぽ」へ。認定証はすぐ来た。限度額は57600円だった。

生命保険会社から書類を貰う

当時の私の保険は大昔のままなので、5日以上の入院でないと入院給付金が出ない。コイル術というのが手術に該当するかどうかも確認が必要だった。

(大昔当時の同僚の友人が契約を欲しがっていて、たいした考えもなく契約した。その後間もなく言われるままに内容を変更したが、それも大昔のタイプのままだった。そして生命保険に対し色々思う所があり、変更せずに来た。途中10年満期の一時払い養老保険に入った位。これは年金の上乗せになるので良いと思う。)

 姉、弟の分担のスケジュール調整 

身辺整理

真面目にエンディングノートを書いた。途中までだったけど(笑)

お金の事(メイン銀行、ゆうちょ銀行、証券会社、生命保険等の一覧、通帳・証書類をまとめておく)

友人関係(関係別に分類した住所録をプリントアウト)

 車や携帯電話の書類。

パソコンのログインパスワードや、色々なネット利用の 一覧やパスワード等。

断捨離

処分していなかったブラウン管テレビを処分したり、捨てようと思いつつそのままになっていた衣類等を地域の資源回収の場所に持って行ったり、古本をTSUTAYAに売りに行ったり(5円10円の世界でガソリン代にもならないけど)、粗大ごみをごみ焼却所に持ち込んだり、ゴミの日に出せるものは出したり、手持ちの物をできる範囲で整理した。(常日頃心掛けていれば大仕事にならないのにね・・)

入院の持ち物

検査入院の時と同じだった・・ と思う(笑)

  

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未破裂脳動脈瘤 その5 入院雑感

いたって健康で生きてきたので、入院経験は、中学生の時虫垂炎で手術した時位。当時私が入院した病院は全身麻酔で盲腸の切除術をした。待合室で西谷祥子の漫画を読んだ事と、母を独り占めできる数少ない機会だったのにあまり甘えなくて惜しいことをした、という記憶がある位。

 

だから殆ど初めての入院。

ただ、当時の数年前母が大腿骨骨折で人工関節置換術を受け2ヶ月入院していたので、必要な物、あると便利な物は、ある程度わかっているつもりだった。加えて、ネットで色々調べた。

病院からの指示の持ち物:下着類、洗面用具、ボックスティッシュ、バスタオル、フェイスタオル、箸類、プラスチックカップ、履物(スリッパは不可)、イヤホン、検査時(大判バスタオル、フェイスタオル、弾性ストッキング、曲るストロー)

あると良いもの:タオルケット、 肩掛けやひざ掛け、カーディガン等の上着、ミュージックレコーダー、ラジオ、本、マスク(感染予防と睡眠時の乾燥対策)、予備の電池、携帯充電器、保温マグボトル

 

最初の検査入院を終えて・・

良かった事

・眠れぬ夜、ミュージックレコーダーの音楽に癒された。(小田和正、スティング、アバ、中島みゆき竹内まりやピアノソナタ集)

ラジオ深夜便NHKFMの”弾き語りフォーユー”が良かった。

・持参した本、病棟の本を沢山読めた。

・6人部屋の他の人の色々な話を聴けた。

・看護師、医師、職員、患者、見舞い客の人間観察がとても興味深かった。

・目の前に三食出てくる事!暖かく、冷たく。すごい!そして割に美味しかった。

課題というか、困ったなと思った事

・手荒れ、乾燥対策

・血管撮影後6時間の安静時、素肌に手術着だけなので(胸にフェイスタオルは当ててはいるが)、手を出して何かすると、襟元、袖口がスース―して寒い。

・給湯がない!お茶は昼食時だけだった。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その4 検査入院

入院が近付き、姉が来るという話と共に、母に話した。

意外に驚かなかった。ちょっと拍子抜け。良かったけど。

 

姉に車で送ってもらって入院。

入院はひとりで良いと思ったら、検査の説明には身内の同席が必要との事で改めて姉に来て貰った。私が認知症かとかそういう事ではなく、後で言った言わないにならない為証人として同席者が必要という事なのだと思う。

最初夕方5時に来て下さいと言われたが、手術が長引いた為夜の7時になった。

説明を一緒に聞き、何枚か書類に署名。

 

入院中

受付時 身長体重測定

病室に入って  病衣に着替え、採血 採尿     

        血圧測定、検温は自分でとノートを渡された。

検査  頭部CT レントゲン(胸部、頭部) 心電図 肺活量 

      心臓エコー MRI 視力検査 視野検査

 

DSA(digital subtraction angiography)要するに血管撮影

朝食抜き、手術着に着替え、尿管を入れ、オムツを着け、弾性ストッキングを履き、点滴開始。

間もなく検査室へベッドで移動。

検査台へ自分で移動。

鼠径部に局所麻酔の注射をされ、カテーテルが入る?この辺は説明されてもよく分からなかった。

そのうち左の頬と口の間?が温かい感じになり、医師の声かけで左頭部に稲妻というか線香花火のような光がはしり撮影。それが何度か。どうも研修の医師の練習台にされたらしく、時間はかかるし、造影剤も多く使ったらしい。あからさまには言わないが病室に帰る時、Ns に「長くなってごめんなさいね」とそっと言われた。

それから6時間足を動かしてはいけないと言われ、辛いのなんのって。

2時間経つと水分を摂っても良いとの事で、Nsにストローで少し飲ませて貰った。問題なかったので、食事OK、おにぎりは自分で食べたが、他は姉の介助だった。

腰が痛くて大変だった。途中バスタオルで体位変換をして貰ったが、一時的なもので、またすぐ痛くなる。時間の経つのが遅い事!

6時間後動いて良いとなっても腰が痛くて起き上がれないし、ひとりで下着もはけなかった!その夜は腰が痛くて良く眠れない程で、湿布を貼って貰った。

次の年の同じ検査の時Ns 曰く

「片方の足は動かして良いですよ。去年両足だったの?大変だったね。」

6時間より短い時間の時もあって止血が不十分で出血する事もあってこの時間になったらしい。病院も試行錯誤なのかな?

 

造影剤を入れてのMRI

 

医師との話し合い

入院した時は医師はクリッピング術を考えていたらしいが、検査の結果、左目の奥で開頭だと行き着くのが大変らしい。コイル塞栓術もリスクがあるし、再発の可能性がありフォロー検査が必要。リスクは同じ位とは言っていたが、ニュアンスとしては、コイル塞栓術を奨めている感じだった。

姉とも話し、コイル塞栓術をお願いすることにした。

その場で入院日と手術日が決まった。

血栓が出来ないよう手術前5日間の服薬期間があり、それを含め15日間位の入院となるとの事だった。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その3 治療することにした

半年毎の検査の5回目の頃、65歳まで働く意欲が失せて2年で退職して半年、ハローワーク通いも終わり、友人と1週間の旅行で家を留守した。

当時は母も2泊位はひとりで留守番できたので、姉や弟に途中に来てもらう位で家を空けられた。

姉曰く、「〇〇ちゃん(私の事)がいないと、とてもしっかりしているんだよ。この家の主(あるじ)の自覚がでるみたい。」

弟も同意見だった。

 

そこで私は考えた。治療できるのは70歳まで、後になればどんどん母は留守番ができなくなる。今なら所々来て貰えるだけで、入院期間を乗りきれる。治療するなら今だ。

知らぬが仏の話をしても仕方がない。知ってしまったのだから。

姉、弟に協力を頼んだ。

 

受診して、治療する事に決めた旨話した。

治療方針を決める為の検査入院の日程は、改めて連絡をくれるとの事で、入院の書類を貰った。。

混んでいるので、1ヶ月以上先になるとの事だった。

さてどういうタイミングで母に話そうか。次なる悩み。

3週間後位に電話が来て、さらに1ヶ月後位の入院日を告げられた。

具体的になったので、ネットで闘病記を読みまくったり、入院に便利な物等の情報を調べたり。

 

つづく

 

よろしければ・・