母が同年代の友人と待ち合わせるそうだ。
デパートの友の会に入っていて、年一回観劇ができる。そのチケットを貰いに行くとの事。前回かその前か、その友人と時間と待ち合わせ場所を決めていたにもかかわらず、なかなか会えなかったというエピソードがある。
母が、決めた時間や場所に自信がなくなり、チケットカウンターに行ってしまったり、また戻ったりとウロウロした事が原因で、友人に迷惑をかけたそうだ。
後で聞いて、
「お互いに携帯電話を持っているのだから、電話すればよかったじゃない。でなければ、私が家にいたのだから、私に電話するとか考えなかったの?」
携帯電話の事を全く考えなかったそうだ。
その時、私は『あぁ認知症状が進んだな』と内心ショックを受けた覚えがある。
大したことではないのに、パニックに陥るという事なのだと。
その後そういう事が続いたわけでもなく、ホッとしたのだった。
そして、今回
母は当日の朝、場所と時間を確認しようと友人宅に電話をしていた。
出ない。
友人はかなり耳が遠くなっているので、別の部屋にいると気付かない事もあるそうだ。
何度かかけても出ない。
私
「携帯電話にかけてみたら?」
(不携帯電話のquetzalさんと呼ばれる私が言っても少々説得力に欠けるが・・)
母が「出るかなあ?」とつぶやきながら自分の携帯電話でかけたら・・なんと、出た!
午前中所用で外出していたそうで、出先で携帯電話に出てくれたのだ!
これは画期的な事!
90歳と89歳の老婆が携帯電話で話している図をご想像あれ🎶
時間と場所を再確認して、母は楽しそうに公共交通機関で出かけて行った。
帰ってきたら、私は自分の整形外科通院に出掛けようと思っていたのに、なかなか帰って来ない。あのよろよろの杖歩行の母を見ていると、無事帰宅した姿を確認しないと落ち着かない。
出かける時、「送ろうか?」と声をかけたら、「大丈夫」と断られたのだ。
母は帰りのバス停で、「もう出かけていいよ」とメールをくれたのだが、私はたまたま気付かなかった。帰って来て、言われてメールを見たら、意味不明の文章で可笑しかった。
デパートの催しを見て買物をして、たっぷりお喋りをしてきたそうだ。
先日の東京での友人とのお喋りの中で、友人達はそれぞれ、お連れ合いのご両親も含め全員見送ってしまっているので、介護の話はないのだが、母の、公共交通機関で出かけるとか、携帯電話を使うとか、メールをするとかの話に、
「立派なものじゃない」
と言われた。
それはそうだけど・・
日々いろいろあるわけでして。
でもまあ今回の、携帯電話が役立ったという話、よいと思いませんか?
名前がわからない庭の花
母は名前を知っている庭の花 教わったけれど忘れた‥
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