ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

未破裂脳動脈瘤 その6 治療入院を前に

 約15日間の本番入院を前にすべき事

健康保険限度額適用認定証の申請

検査入院が約8万円かかった。早めに認定証を貰っておけば申請の手間がなかったのだが、慣れない事なのでしかたがない。返金の申請と、認定証の申請をした。任意継続保険なので「協会けんぽ」へ。認定証はすぐ来た。限度額は57600円だった。

生命保険会社から書類を貰う

当時の私の保険は大昔のままなので、5日以上の入院でないと入院給付金が出ない。コイル術というのが手術に該当するかどうかも確認が必要だった。

(大昔当時の同僚の友人が契約を欲しがっていて、たいした考えもなく契約した。その後間もなく言われるままに内容を変更したが、それも大昔のタイプのままだった。そして生命保険に対し色々思う所があり、変更せずに来た。途中10年満期の一時払い養老保険に入った位。これは年金の上乗せになるので良いと思う。)

 姉、弟の分担のスケジュール調整 

身辺整理

真面目にエンディングノートを書いた。途中までだったけど(笑)

お金の事(メイン銀行、ゆうちょ銀行、証券会社、生命保険等の一覧、通帳・証書類をまとめておく)

友人関係(関係別に分類した住所録をプリントアウト)

 車や携帯電話の書類。

パソコンのログインパスワードや、色々なネット利用の 一覧やパスワード等。

断捨離

処分していなかったブラウン管テレビを処分したり、捨てようと思いつつそのままになっていた衣類等を地域の資源回収の場所に持って行ったり、古本をTSUTAYAに売りに行ったり(5円10円の世界でガソリン代にもならないけど)、粗大ごみをごみ焼却所に持ち込んだり、ゴミの日に出せるものは出したり、手持ちの物をできる範囲で整理した。(常日頃心掛けていれば大仕事にならないのにね・・)

入院の持ち物

検査入院の時と同じだった・・ と思う(笑)

  

よろしければ・・

未破裂脳動脈瘤 その5 入院雑感

いたって健康で生きてきたので、入院経験は、中学生の時虫垂炎で手術した時位。当時私が入院した病院は全身麻酔で盲腸の切除術をした。待合室で西谷祥子の漫画を読んだ事と、母を独り占めできる数少ない機会だったのにあまり甘えなくて惜しいことをした、という記憶がある位。

 

だから殆ど初めての入院。

ただ、当時の数年前母が大腿骨骨折で人工関節置換術を受け2ヶ月入院していたので、必要な物、あると便利な物は、ある程度わかっているつもりだった。加えて、ネットで色々調べた。

病院からの指示の持ち物:下着類、洗面用具、ボックスティッシュ、バスタオル、フェイスタオル、箸類、プラスチックカップ、履物(スリッパは不可)、イヤホン、検査時(大判バスタオル、フェイスタオル、弾性ストッキング、曲るストロー)

あると良いもの:タオルケット、 肩掛けやひざ掛け、カーディガン等の上着、ミュージックレコーダー、ラジオ、本、マスク(感染予防と睡眠時の乾燥対策)、予備の電池、携帯充電器、保温マグボトル

 

最初の検査入院を終えて・・

良かった事

・眠れぬ夜、ミュージックレコーダーの音楽に癒された。(小田和正、スティング、アバ、中島みゆき竹内まりやピアノソナタ集)

ラジオ深夜便NHKFMの”弾き語りフォーユー”が良かった。

・持参した本、病棟の本を沢山読めた。

・6人部屋の他の人の色々な話を聴けた。

・看護師、医師、職員、患者、見舞い客の人間観察がとても興味深かった。

・目の前に三食出てくる事!暖かく、冷たく。すごい!そして割に美味しかった。

課題というか、困ったなと思った事

・手荒れ、乾燥対策

・血管撮影後6時間の安静時、素肌に手術着だけなので(胸にフェイスタオルは当ててはいるが)、手を出して何かすると、襟元、袖口がスース―して寒い。

・給湯がない!お茶は昼食時だけだった。

 

つづく

 

よろしければ・・

 

未破裂脳動脈瘤 その4 検査入院

入院が近付き、姉が来るという話と共に、母に話した。

意外に驚かなかった。ちょっと拍子抜け。良かったけど。

 

姉に車で送ってもらって入院。

入院はひとりで良いと思ったら、検査の説明には身内の同席が必要との事で改めて姉に来て貰った。私が認知症かとかそういう事ではなく、後で言った言わないにならない為証人として同席者が必要という事なのだと思う。

最初夕方5時に来て下さいと言われたが、手術が長引いた為夜の7時になった。

説明を一緒に聞き、何枚か書類に署名。

 

入院中

受付時 身長体重測定

病室に入って  病衣に着替え、採血 採尿     

        血圧測定、検温は自分でとノートを渡された。

検査  頭部CT レントゲン(胸部、頭部) 心電図 肺活量 

      心臓エコー MRI 視力検査 視野検査

 

DSA(digital subtraction angiography)要するに血管撮影

朝食抜き、手術着に着替え、尿管を入れ、オムツを着け、弾性ストッキングを履き、点滴開始。

間もなく検査室へベッドで移動。

検査台へ自分で移動。

鼠径部に局所麻酔の注射をされ、カテーテルが入る?この辺は説明されてもよく分からなかった。

そのうち左の頬と口の間?が温かい感じになり、医師の声かけで左頭部に稲妻というか線香花火のような光がはしり撮影。それが何度か。どうも研修の医師の練習台にされたらしく、時間はかかるし、造影剤も多く使ったらしい。あからさまには言わないが病室に帰る時、Ns に「長くなってごめんなさいね」とそっと言われた。

それから6時間足を動かしてはいけないと言われ、辛いのなんのって。

2時間経つと水分を摂っても良いとの事で、Nsにストローで少し飲ませて貰った。問題なかったので、食事OK、おにぎりは自分で食べたが、他は姉の介助だった。

腰が痛くて大変だった。途中バスタオルで体位変換をして貰ったが、一時的なもので、またすぐ痛くなる。時間の経つのが遅い事!

6時間後動いて良いとなっても腰が痛くて起き上がれないし、ひとりで下着もはけなかった!その夜は腰が痛くて良く眠れない程で、湿布を貼って貰った。

次の年の同じ検査の時Ns 曰く

「片方の足は動かして良いですよ。去年両足だったの?大変だったね。」

6時間より短い時間の時もあって止血が不十分で出血する事もあってこの時間になったらしい。病院も試行錯誤なのかな?

 

造影剤を入れてのMRI

 

医師との話し合い

入院した時は医師はクリッピング術を考えていたらしいが、検査の結果、左目の奥で開頭だと行き着くのが大変らしい。コイル塞栓術もリスクがあるし、再発の可能性がありフォロー検査が必要。リスクは同じ位とは言っていたが、ニュアンスとしては、コイル塞栓術を奨めている感じだった。

姉とも話し、コイル塞栓術をお願いすることにした。

その場で入院日と手術日が決まった。

血栓が出来ないよう手術前5日間の服薬期間があり、それを含め15日間位の入院となるとの事だった。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その3 治療することにした

半年毎の検査の5回目の頃、65歳まで働く意欲が失せて2年で退職して半年、ハローワーク通いも終わり、友人と1週間の旅行で家を留守した。

当時は母も2泊位はひとりで留守番できたので、姉や弟に途中に来てもらう位で家を空けられた。

姉曰く、「〇〇ちゃん(私の事)がいないと、とてもしっかりしているんだよ。この家の主(あるじ)の自覚がでるみたい。」

弟も同意見だった。

 

そこで私は考えた。治療できるのは70歳まで、後になればどんどん母は留守番ができなくなる。今なら所々来て貰えるだけで、入院期間を乗りきれる。治療するなら今だ。

知らぬが仏の話をしても仕方がない。知ってしまったのだから。

姉、弟に協力を頼んだ。

 

受診して、治療する事に決めた旨話した。

治療方針を決める為の検査入院の日程は、改めて連絡をくれるとの事で、入院の書類を貰った。。

混んでいるので、1ヶ月以上先になるとの事だった。

さてどういうタイミングで母に話そうか。次なる悩み。

3週間後位に電話が来て、さらに1ヶ月後位の入院日を告げられた。

具体的になったので、ネットで闘病記を読みまくったり、入院に便利な物等の情報を調べたり。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その2 検査

紹介状を持って病院に行った。当時は土曜日に検査も診察もしていて、その日のうちに結果も出て医師の説明も聞けた。

最初の検査と同じく、左内頸動脈末端に約7mmの脳動脈瘤がある、との事だった。

ミッキーマウスの頭のような形をしていた。

医師「治療を奨める基準(ガイドライン)に該当するので考えてみてください。決めたら改めて来て下さい。」

ガイドラインを書いた用紙を渡され、色々説明をしてくれた。当時の治療方法には、クリップ術とコイル術がある事を教えてもらった。

 

年寄りを抱えている身では簡単に入院出来ない。

健康で頑丈だと信じて疑わない娘(私)が入院だなんだとなったら、母はショックを受けるだろう。

破裂するパーセントが低い。(年に1%、5年経ったら5%・・そういう計算になる?違うような気がする) 破裂しないで一生を送る可能性の方がずっと大きい。

10日間位ネットでも色々調べ、治療のリスクの方が大きい事、今母に教えたらショックでどうなるか心配だった事、入院となったら、留守の段取りがとても大変な事、当時は65歳まで延長雇用で働こうと思っていた事、等々考え、経過観察を選ぶことにした。

受診して、経過観察にすると話した。

医師「そうですか。それでは3ヶ月後にまた検査を受けて下さい。」

3ヶ月後、検査、日を改めて受診。(同じ日に診察を受けられない)

 変化なし。また3ヶ月後に、検査予約。

3ヶ月後に検査、日を改めて診察。

同じく変化なし。以後半年毎となった。

以後半年毎の検査を5回。その度に

「形がイビツなので治療した方が・・カテーテル検査だけでもしては?」

「気が変わったらいつでも来て下さい」

 

姉、弟には話していたが、母には黙っていたので、退職後は、検査や受診の為の外出をごまかすのが大変だった。

 

つづく

 

よろしければ・・

  

未破裂脳動脈瘤 その1 発見

60歳になる年、職場の健康診断で、5年毎に受けられるオプション検査を申し込んだ。そのひとつが脳のMRIと簡易脳血管撮影だった。

55歳の時は脳血管撮影はなかったので問題なしだった。

それが何故かこの年脳血管撮影もあった。その後の年のオプションにはなかったと同僚から聞いた。オプションを申し込まなかったら、知らぬが仏で天寿を全うしたかもしれない。くも膜下出血で亡くなったかもしれない。重度後遺症で、介護状態になったかもしれない。別の病気や不慮の事故で亡くなったかもしれない。それはわからない。でも検査を受けてしまった!

検査後呼ばれた。

「脳動脈瘤があるようなので精密検査をお奨めします」

え?!何ですって?

画像を見たら確かにいびつな瘤があった。

「紹介状を書くので、何処の病院にしますか?」

自宅からは少し遠いが脳疾患専門の病院にした。

 

何だかぼんやりして、本当かなあというのが最初の感想だった。

 

つづく

 

よろしければ・・

 

別のスイッチが入った?

いつも、朝、その日の予定をお互いに再確認する。

ある日の事

母、午後1時に知人との約束があるので早めの昼食を摂って出かけるとの事。

私、10時頃出掛け午前中かかるので、帰りにひとりで買物をして帰る事にした。

(買物は基本的にふたりで行く。カートを押して店内を歩くのはとても良いリハビリだし、母は買い物が好きなので)

「すれ違いになるので会えないね」と話をして、しばしそれぞれの時間を過ごし、9時30分頃私が出掛ける準備をしていたら、母が何やらバタバタと出かける準備を始めた。丁度私の携帯に電話が掛ってきたので、話をしながら、玄関から出ようとする母を止めた。焦った~

携帯電話を切り、話を聞くと、「10時待ち合わせだから遅れる!タクシーで行こうと思って。」と母。

私「それは昨日の事でしょ。今日は午後1時だから早お昼を食べて出掛けるってさっき話していたよ。」

母「あゝそうだった。何だか慌てちゃった。」

ついさっき話していた事なのに・・

そしてその日の夜

夕飯の食器洗いは母の担当。食器以外は片付けた状態で頼んでいる。

母「給湯のランプがおかしい」

私「何が?」

母「スイッチのランプの色が違う。全部赤になっていない。」

壁にあるスイッチの給湯のメインスイッチの緑が赤のはずだということらしい。

私「いつもこうでしょう」

母「そうだった?」(納得していない様子)

 

こういう事が増えていく?

どう対処したらよいのか?

福祉業界にいたのに、自分の親だと戸惑うばかり。

89歳の今から検査する?薬飲む?成り行きに任せる?

 

 よろしければ・・