ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

未破裂脳動脈瘤 その11 半年後のフォロー検査・追跡調査・保険

フォロー検査

 4ヶ月後、治療後半年の検査は外来でのMRI検査となったとの事で、日程の通知が来た。姉にその旨連絡。

MRI検査

日を改めて受診。主治医だった。異常なく、半年後(術後1年)は検査入院との事。

追跡調査

 同じ頃、病院から、退院後の追跡調査のような物が来た。

なるほどね。

内容は「普通に日常生活を送っている」から「介護状態」~「死亡」まで、いくつかの選択肢から選ぶ形だったような・・

保険

初めて給付金をもらって、それまでの自分の保険が旧い物だと実感したので、変更する事にした。周囲の話を聞いたり、調べると、保険自体要らないような気がするが、現在契約しているのだから、それをある程度活用しようと考えた。半分は65歳から5年間年金としてもらう形にして、半分を新しい保険にした。給付金を受け取る手続きの中、心が動いていると見透かされたらしい。担当とその上の人が来て、熱心に(笑)説明してくれた。

 

つづく

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

未破裂脳動脈瘤 その10 退院後 

退院当日

 退院したその日から、家事が待っていた!(当然の事)

その日は荷物を片付け、洗濯。病院で洗濯した物も、改めて全部洗濯。

掃除もしなければならないが、退院した日は、さすがに気力が出ない。

昼食、夕飯はあるもので作った。病院の精進料理から解放されたのは嬉しいが、座っていて出てこないのは少々辛い。できるのを待っている人もいるし(笑)

退院2日目

タオルケット等の大物の洗濯が残っていて、それを洗濯。

郵便局、銀行への用足し。歩いて10分位の所なのに、往復したらへとへとだった!

掃除の気力はまだ湧かない。

母が所用で外出し、デパ地下で鯛のアラを買ってきた。デパ地下の魚はとても美味しい。でも高い!アラは美味しさ変わらず、お手頃価格。だからすぐ売り切れる。彼女は鰤や鯛のアラを見つけると買ってくる。料理するのは私・・

この時は、流石にため息が出た。でも料理した。

以前お祝い事の折りに尾頭付きの鯛があり、それで鯛飯を作ったら美味しかった。アラでも結構身が付いているし美味しいのではないかな?と思って作ったら、美味しかった。以来、鯛のアラを見つけると、鯛飯を作る。貧乏料理だけど美味しい。

軽く塩をして、焦がさないように焼いてから、昆布と酒、塩と共に炊く。クックパッドを参考にした。

話を戻して・・

退院3日目

久しぶりに車を運転し買物に出たら、信号無視しかけた。危ない危ない。

身体が痛いし、体調不良。

でも家の中汚すぎ、隅々まで念入り掃除。

姉も掃除はしていたらしいが、自宅のようにはできないだろうからしかたがない。

退院4日目~ 

近くの公園を散歩し体力回復に努める

5日目から隔週のカルチャー再開

退院後数日でほぼ元の生活に戻った。

 

保険会社へ、書類を提出 → 3日位で振り込まれた(105000円)

      入院給付  5000円×11日(15日-4日)=55000円

      手術給付 50000円

治療入院での支払いは限度額適用認定証を出したので、約80000。ありがたい。

検査入院の支払いも約80000円だったが、高額療養費の申請をしたので約18000円戻り、6万ちょっとの支払いだった。

 

 つづく

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

未破裂脳動脈瘤 その9 手術後

手術後3日目

朝食 側臥位で摂る。おにぎり おかず少々

尿管がとれた!

清拭 手の届く所は自分で、背中、足は介助。

ベッドで身体を起こしてよくなり、車椅子の介助を受けトイレに。車椅子からの景色は日頃とは違うので貴重な体験だった。移乗は見守り、歩いてはダメとの事。

昼食 中華丼 普通の食事!

午後点滴終了!

ナースコールで何度かトイレへ。

外で待っていられると出るものも出ない(笑)感じがして、

「10分後に迎えに来てください」等と頼む事を思い付き、我ながらgood ideaだった。

身体が自由になったので、入院を知っている友人にメールで報告。

氷枕と痛み止めのおかげで、久しぶりに数時間眠った。

また、氷枕と痛み止めをお願いする。

4日目

 身体中が筋肉痛。

朝9時以降トイレまでの歩行OKとのこと。最初だけ看護師見守りで歩いた。

メールやテレビで過ごす。頭痛もさほどでなく、順調。

夜はうつらうつらで過ごす。

5日目

内服

主治医より 順調とのこと

行動の制限がなくなる

シャワー浴 さっぱりした~  洗濯

弟来る

読書 テレビ メール

7時間熟睡 すごい!

6日目

内服

読書 テレビ メール

弟来る

7日目

内服

入浴

元同僚を見かけた。危ない危ない。

読書 テレビ メール

8日目

採血

内服 自己管理になった

MRI

退院の話が出ない?そろそろのはずだが・・

9日目

内服

洗髪

姉来る。 丁度姉がいる時看護師が来て、明日退院との事。

10日目 退院

姉に来てもらい一緒に医師の話を聴く。

医師より

3ヶ月分の薬を処方された。以降脳梗塞の可能性あり。

生活制限はほぼなし。当分(1ヶ月位)正座、和式トイレはダメ。

フォロー検査は、半年後、外来か入院かは未定。

 

ナースステーションに挨拶をして、事務で会計をして、帰った。

仕事の都合があり、姉はすぐ帰った。

退院したらすぐ現実の日常が待っていた。(笑)

術後の期間について

術後間もなくは、やけにリアルな幻覚のような夢を見た。どうも全身麻酔の影響らしい。

身動きがとれない期間の病衣の襟元袖口の肌寒さ。

身動きがとれない時、手鏡があるとよかった。

 

 つづく

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

未破裂脳動脈瘤 その8 手術(コイル塞栓術) 

手術当日

 内服

手術着に着替える(肩が紐で結んである、カテーテル検査の時と違う物だった)

荷物をまとめロッカーに預けるべく姉に託す

同室の方々に挨拶をして、歩いて手術室へ

手術台に寝て、「これを入れるのですよ」とプラチナコイルを見せられた(たぶん)

麻酔をかけられ意識が無くなった

 

声を掛けられ、意識が戻り、目に入ったのは主治医と姉の顔

ICU

酸素マスクを外されたが、うつらうつらすると血中酸素濃度が落ちるらしく、鼻チューブの酸素を着けられた。

名前、生年月日、場所、月日を何度も何度も聞かれる。

挿管されていた為か声がかすれうまく話せない。

うつらうつらがなくなった夕方から、辛いこと辛いこと。

右腕には血圧計が着いていて、定期的に計測される。その度に腕が締め付けられ目が覚める。心電図のパッチも着いていたと思うが、ここは記憶が曖昧。左の前腕には点滴の針。右足は固定、尿管も着いて、身体の自由が利かない。

それでも夕食がきた。チューブのゼリーを自分で食べた。こういう状態でも歯磨きはきちんとさせられた。

腰が痛くてたまらず、湿布を貼ってもらう。頭痛も酷くて、薬をもらった。

見える範囲は限られているし、ド近眼の私は眼鏡がないと周りがよく見えないが、開頭手術をしたらしい人が呻いたり、とんちんかんな事を言ったりしているのが聞こえたり、真夜中に救急搬送されたらしい人が入ってきたり(たぶん)。緊迫した雰囲気の中、看護師が動き回っていた。

ICUは意識のない状態で過ごす人が多いのだろうが、私は、痛いし身動き取れないしで眠れない長~い長~い夜を過ごしたのだった。

手術後2日目 午後病室へ

繰り返し名前その他を聞かれる。

朝食 おにぎり1個 ヨーグルト おかず少々 歯磨き

病衣へ着替え 清拭 陰部洗浄 湿布 看護師さんの手際の良さと安心安楽さに感謝!

昼食 おにぎり おかず少々 歯磨き

午後元の病室へ

顔ぶれも同じで、皆さんと再会を喜んだ。姉も来ていて少し話す。間もなくベッドのままMRIへ呼ばれ、それを機会に姉は帰宅。

ベッドは30度まで起こせるようになり、少し視野が広がる。夕食は側臥位で摂った。

頭痛が酷く、痛み止めをもらい、氷枕もあててもらった。

点滴と、尿管で寝返りもままならず、腰痛、頭痛で眠れない。肌着を着ていないのでスース―して寒い。

 

つづく

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

きれい好き過ぎる友人 

f:id:quetzal2013:20170303120626j:plain

記事とは無関係ですが、3月3日なので。母作です。花瓶代わりの徳利🍶(笑)で大きさがわかります。

 

仲の良い友人ふたりとのお喋りの中で

友人

「年を感じる・・最近は1日おきにしか掃除機をかけなくなった。」

私と別の友人は、絶句。コメントができない💦

 

現役時代、私は掃除は週1回週末にしかしなかった。家にいるようになって、日中家にいる人間が増えたので、埃っぽいなとは思うが、やはり原則週1回しかしない。どれだけ無精なのだろう。身内等の泊まり客がある時はもちろんその前後にも掃除をする。

きれい好きの友人は現役時代も毎日掃除機で掃除をしていたそうだ。お連れ合いも現役で、日中家に誰もいないのに、である。

 

ある時友人に聞いた事がある。

「早朝から夜遅くまで出掛ける時はどうするの?」

友人

「夜、コロコロをかけるだけで我慢する。」

またある時

私 「この前浴室のカビ取りをしてね~」

友人 「ふ~ん、私は毎日お風呂から上がる時に、乾いた専用タオルで浴室内を全部拭き上げるから、殆どカビは生えないよ。そのタオルは、雑巾とは別に洗濯するの。」

私ともう一人の友人・・絶句

姉が来た時にその話をしたら、

姉 「私は結婚した時からそうしているよ。排水溝も毎日洗うよ。」

私再び絶句。

私ってかなりの無精者だったという事?

 

その友人と

 1月一緒に出掛けた時、帰ってから、身ぐるみ、ダウンコート、帽子、手袋、バッグまで洗濯したので、寝たのは午前2時をまわっていたそうだ。

その時、ホテルで、「入浴はシャワーだけ。バスタブに湯をはっては入らない。誰が使ったか分からないから気持ちが悪い。」との事。「布団に直接肌が触れないようにして寝たい。」とも言っていた。

でも、温泉は好きで大浴場に皆で入る事はOKなのだ。

矛盾していると思うと自分でも言っていた。

 

彼女のきれい好きエピソードは他にもあるが、またそのうちに・・ 

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

北大路公子が面白い! 「生きていてもいいかしら日記」 *ちょっとブレイク*

以前、本屋で偶然買った「生きていてもいいかしら日記」、あまりに面白くて、姉に貸した。以来、姉は本屋で見つけては買って持ってくる。

札幌在住のエッセイストで、日々の出来事、自分の事、家事の事、御両親の事、北国の生活の様子等を書いているのだが、「そうそう!」「へえ~」と飽きさせない。(読書感想文は、やっぱり苦手(笑))

「苦手図鑑」

「石の裏にも三年」

「頭の中身が漏れ出る本」

「枕もとに靴」

「最後のおでん」

「ぐうたら旅日記」

Amazonで検索して出てきたこれらの本は全部読んでいた!

自分で買ったのは「生きていてもいいかしら日記」だけ。姉に感謝!

 

人込みの中では読まない方がよい。思わず声を出して笑ってしまうから。

 

お読みいただきありがとうございます。

よろしければクリックをお願いします。

未破裂脳動脈瘤 その7 治療入院

手術まで

1日目 

姉運転の車で入院。医師からの話はないとの事で、姉は帰った。

血圧測定、検温、問診。

レントゲン(胸部、頭部)検査後病室に帰る時、仕事で来ていた元同僚とバッタリ会ってしまった。入院の話は極々限られた人にしかしていなかった。元の仕事は病院にも出入りしていたので、階段を使う等元同僚と会わないよう気を付けていたのだが、うっかりエレベーターに乗ってしまったのだ。彼女は彼女で、病気療護後復帰して間もない時期で、私が退職した時はまだ休んでいて、退職の挨拶を直接していなかったので、お互い思う所があった。特に親しくはなかったのだが、以来年賀状で近況報告をしている。これも縁だね。

栄養士より話:コレステロールが高めなので、脂質異常症食だそうだ。

入院中精進料理のような食事ばかりだった。厚揚げ、油揚げ、高野豆腐、ガンモドキ等々大豆製品オンパレードだった。1600㎉で病院食以外食べてはダメだったが、私にはご飯の量は多くて、残す事が多かった。退院後体重を計ったら、少し痩せていた。

ブラックコーヒーはOKだったので、姉や弟が来る時に、必ず近くのコンビニで100円コーヒーを買ってきてもらった。自販機のブラックコーヒー(140円)はいまいち、食堂のコーヒー(210円)は高いし味もいまいち。同室の人にもよく頼まれた。(もちろん許可をとった)

2日目

内服(3種類)

採尿、採血

入浴

手術時間や必要な物について説明を受けた。

3日目、4日目

内服以外なし

週末は弟担当。母の為に来ているので、病院には来なくてよいと言っていたが、コーヒーを持って来てくれた。

5日目

内服

麻酔医が来た

入浴 洗濯

姉が来て一緒に、ICUに持ち込むものに名前を付けたり、点検をした。箸、スプーン、フォーク、歯磨き、歯ブラシ、プラスチックカップ、タオル類、タオルケット等すべてに記名。

一旦ベッドを空けるので荷物をまとめ、ロッカーに預けることになる。

この5日間は?

暇だった。人生でこういう時間ってそうそうない。辛い自覚症状があるわけではないので、ありがたい5日間だった。

6人部屋で、色々おしゃべりした。それぞれ入院理由は違うが、基本ADL自立の人達。

ペン習字の練習をした。(その時だけだったので、全く身に付かなかった(笑))

読書: 持参した本、病棟の本 たくさん読んだ。

携帯メールはOKだったので、色々いじっていたら、知らなかった機能がわかった。

 

 よろしければ・・