もう7年経ってしまったのですね。
余裕なくガサガサした気持ちで過ごした何日間は、我ながら情けなくて、思い出したくないけれど、
遠方の友人達、親戚、知人の心のこもった支援物資に感激した事は忘れられません。
宅配の段ボールを開けたら、庭のお花を丁寧に傷まないように包んで入れてくれていたり。送る方だって、物資不足の中、買い集めるのも大変だったでしょうに、色々な物を詰めて送ってくれました。パッキングする時のその人の顔が浮かんで、涙がこぼれましたっけ。
なぜ情けないのか?
自分の事しか考えられなかったから
フルタイムの仕事をしながら、母を抱えた2人分の生活全般の心配をするだけでしんどくて、周囲を気遣う余裕はありませんでした。
給水の列に並びながら、前の人に言わずもがなの事を言ってしまい、自分の料簡の狭さに自己嫌悪に陥ったり・・。苦い思い出です。
周囲の助けを当てにしなかった事は、最小限誇れますが。
近所の若い家族の多くが、すぐ、市民センターや学校に避難して、食事その他の支援を受け、高齢者世帯など移動支援がないと避難できない人達、トイレの心配等で避難所で過ごせない人達はストックしてある物でしのぎ、その後近所等の支援を受けて自宅で過ごしたという話を、後に包括支援センターの担当者から聞きました。安否確認にまわっていて、避難所の顔ぶれが若い人が多くて驚いたそうです。
リュックを背負って、自転車や徒歩で通勤したり、スーパーには長蛇の列ができ、雪の中2時間位並んだり。列を見るととりあえず並んでから、前の人に「何の列ですか?」と聞いたり(笑)。
今日は日曜、追悼礼拝に参加しながら、いろいろ思い出しました。
讃美歌をひとつご紹介します。
YouTubeで検索してみて下さい。女性のソロのバージョンがお薦めです。
球根の中には 讃美歌21 575番
球根の中には 花が秘められ
さなぎの中から 命はばたく
寒い冬の中 春は目覚める
その日その時を ただ神が知る
沈黙はやがて 歌に変えられ
深い闇の中 夜明け近づく
過ぎ去った時が 未来をひらく
その日その時を ただ神が知る
いのちの終わりは いのちの始め
おそれは信仰に 死は復活に
ついに変えられる 永遠の朝
その日その時を ただ神は知る
庭の春
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