ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

白内障手術後3ヵ月経ちました。特定健診も終了。

白内障手術後3ヵ月の受診日でした。

経過良好で、1日4回と2回の点眼も術後の通院も卒業です。

今後は以前からの1日6回のドライアイの点眼薬と3ヵ月後の通院だけです。

やれやれ。

予約なしの特定健診の検査の人(私もでした・・)が多いのでしょう、とても混んでいました。

3時間もかかりました。

かなり密だし。

 

予約日に特定健診の眼科の検査もしてもらうべく、かかりつけ医の特定健診の予約を22日にしていました。

母の退院が21日だったので、かち合わなくて良かった!

 

内科も混んでいました。やはり健診の人が多かったのでしょう。

心電図は所見なしでしたが、聴診器を長い事あてて、

「◇◇◇◇ですね。様子を見ましょう」

良く分かりませんでしたが、1ヵ月後結果を聞きに行った時、きちんと聞く事にします。

 

昨年度は1月に特定健診を受けたのですが、来年1月は入院中になるので、今月受ける事にしたのです。何年か前までは10月まで受ける事ができたのに。

検査期間が短いですね。何故だろう。

 

とにかく、いろいろなするべき事リストがひとつずつ片付いています。

残すは運転免許更新です。

ようやく更新の通知が来ました。

いつ行こうかな。

 

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母の入院中の様子 退院へ

入院して⒉週間、検査をしたそうです。

鼻腔から造影剤をいれてのCT(だったかな?間違っているかも)の結果、ガスがなくなり、漏れもないとの事。

今後は口からの食事摂取を試すとの事でした。

 

信じられない!

腸に穴が開いていたのが自然治癒したという事?

そういう事があるの?

母の生命力には驚かされます。

(私の考えをちょっと。7月の入院の胆石の治療で、口から胆管まで内視鏡を入れた時、十二指腸辺りに傷が付いたのでは?医師の話の中で、十二指腸という言葉が出たのが気になりました。)

 

腸に穴

と言えば、

父は胃婁を造設した時、間に横行結腸を挟んだまま造設し、腹膜炎をおこし開腹手術を受ける事になったのです。

(弁護士に相談したり、病院の上の人と話し合いを持ったりしましたが、結果的には1年余りの入院後亡くなりました。主治医、看護師さん方は良い方々でした。胃婁造設の担当医が未熟だったのです。)

その後胃婁からの栄養摂取は、逆流したり、どの栄養液でも下痢をして受け付けなかったりして、結果的に父にとっての胃婁造設は命を縮めただけでした。

鼻腔からの経管栄養は自分で管を抜くのでダメだったし、どうすべきだったのか、

いろいろ思い出してしまいます。

父については

レバタラが多くて思い出すと辛い事ばかり。

主たる介護者は母でしたが、判断はほぼ私でしたから。

 

母についてはその経験が生きているとも言えますけどね。

 

検査の数日後、病院から電話がありました。

口からの食事摂取に問題なく、退院許可が出たそうです。

話もしているそうです。

 

信じられない!

何という回復力!

 

施設と調整し退院日を決めて下さいました。

今後を考え、病院の上の階の老健本体に入所する事になりました。

また入院となっても、エレベーターで降りるだけで済みます。

夜間の医療的な対応(痰の吸引等)も可能になります。

今までは個室でしたが、今度の施設は昔の施設なので、多床室だそうです。

今の母にとっては、刺激が多くなって良いかもしれません。

利用料金も安くなるようです。

 

という事で

退院、入所しました。

 

母の病名

入院治療計画書には、

腸管気腫症

治療は

絶食、補液、抗生剤

との記載でしたが、

 

退院証明書によると

腸管穿孔性腹膜炎

麻痺性腸閉塞

と記載されていました。

 

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母の入院中の様子 中心静脈栄養

入院して10日また洗濯物を取りに行こうかと考えていた日、病院から電話がありました。

「点滴が入らないので、中心静脈からの点滴にしたいので、同意をお願いしたい」

電話では

「お願いします」

と同意、病院に行き署名しました。

リスクもあるので同意が必要という事でした。

 

中心静脈栄養

と聞くと、忘れられない思い出があります。

昔、私がまだ30代だった頃、入院中の同僚のお見舞いに行った時の事です。

癌の末期で、すでに面会謝絶だったのですが、本人の希望で呼ばれたのでした。

彼女、悲しそうに

「中心静脈栄養になっちゃった」

大昔の事で、正確には覚えていないのですが、

中心静脈栄養は命の期限の最後の砦が破られた

的なニュアンスでした。

それから間もなく召されました。

40歳前後の若さでした。

 

母について言うと

点滴が入らない(そう言えば私も看護師が苦労していましたっけ)から、中心静脈にするということなので、延命治療には当たらないようです。

でも、このまま口から食べる事ができなかったら?

 

病院から深刻な状態と言われたわけではないのに、不安ばかりが募りました。

 

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母が退院し再入所しました

今後の事を考え、病院の上の階の老健本体に入所しました。

母体は同じでも違う施設なので、また契約します。

洗濯業者が違うそうで、そちらも契約し直さなければならず、印鑑を持参するようにとの連絡を受けていたので、10月からの後期高齢者医療被保険者証と一緒に玄関に準備していたのに

見事に忘れました。

靴の上とか、バッグとセットで置くとかをすべきでしたね。

この類のポカはよくやらかすのに、ちっとも学びません。

半分位の所で気が付きましたが、戻ると約束の時間に間に合わない。

近くのダイソーで買おう!

と、行ったら、私の苗字は欠品(´;ω;`)ウゥゥ

諦めて病院へ。

約束の10分前に到着しました。

 

会計を済ませ、施設のお迎えを待ちました。

同じ建物なので、ストレッチャーでそのまま上の入所階へ。

そこだけ付き添えました。

声掛けに追視やうなずきはありますが、発語は無し。

「私わかる?」

と聞いたら、首を横にふりました。

娘を認識しなくなったようです。

でも、居室に行く時、

「元気になってね」

と手を振ったら、手を挙げて応えてくれました。

 

その後、介護士、看護師、栄養士、相談員、ケアマネージャーと必要な話や署名をして一旦帰宅。

昼食後、前もって電話をして、捺印した書類と、後期高齢者医療被保険者証を持って施設へ。

 

病院と同じ建物なので、入館のチェックが厳しいです。

前もって、訪問の予約をしなければなりません。

コロナ禍の終息が待たれます。

 

入院中の事は次回に

 

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線香の補充の為に仏壇の引き出しを開けて発見したもの

母が元気な頃は、仏壇は母の管轄なので、私が引き出しの中を丁寧に見る事はありませんでした。

母に言われるまま、線香を買っていましたので、在庫がどれ程あるかも知りませんでした。

母が脳梗塞で入院した約2年半前から、私が仏壇を管理するようになって、大量の線香を発見!

しまい込んだ線香の存在を忘れては買っていたようです。

認知症ではなくても、年齢相応に”もうろく”していましたので、在庫の掌握ができなくなっていたのですね。

大量の在庫も徐々に減って、引き出しの奥の一個を出した時、

封筒発見!

表書きに母の肉筆で

「遺言書」

とありました。

そう言えば、以前、姉が

「お母さんに、『○○(私の名前)に全財産を譲る』という遺言書を書いて貰ったからね」

と言っていた事がありました。弟にも話をしたのかな?忘れた。

 

随分前(たぶん80代前半)、姉と私に、母が

「土地は◇◇(弟)に、家は○○(私)にあげる」

と言った事があって、それを聞いた私

『この人(母)は、現に同居して世話(当時はまだ介護ではなかったけど)をしている娘より、やはり息子が可愛いのだな。』

と、呆れながらも、納得?諦めた?のでした。

その時の事について、姉と改めて話した事はなかったのですが、姉も同じ思いだったようです。

姉の名前が出なかったのも呆れますよね。他家へ嫁いだとは言え、私の次に母のサポートをしていたのに。

 

何年か後、私がいない時、姉と母が話して、エンディングノートを作ったり、遺言書を作ったようです。

 

肉筆で、捺印、日付はあります。

法的に有効かどうかはともかく、母の肉筆に胸が熱くなりました。

ヨレヨレではありますが確かに母の字でした。

 

実際にどうするかはまた別の話という事で。

 

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町内会から紅白饅頭を頂きました。今年から私も。

私は昨年10月70歳になりましたが、敬老の日基準の町内会では今年からが高齢者の仲間入りです。

我が町内会、70歳以上の方々を敬老の日にお祝いします。

コロナ禍前は昼食会に招待し、お祝い金(2000円)と紅白饅頭を差し上げていました。

高齢化が進み、予算が逼迫した為、3年前から70歳以上全員へのお祝い金(2000円)を廃止し、喜寿、米寿、卒寿、白寿等の方々になりました。

食事会はここ2年は中止していましたが、今年はあるそうです。

母が元気な頃は、食事会に出席して、皆さんとのお喋りを楽しんでいましたっけ。

なにせ50年余り住んでいる所ですから、地域とのつながりも深かったのです。

私は30年位中抜けしていますから、それ程ではありません。

母の事、自分の体調の事もあるので、当然欠席です。

係の方が母とふたり分の紅白饅頭を届けて下さいました。

 

来年はどうなるのかな。

 

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父の墓参りへ

父の命日なので墓参りに行きました。

お盆は弟家族に任せてしまったので、命日は行きませんとね。

駐車場からお墓までの約100m、荷物を持って歩けるかなあ?

市民霊園手前の花屋さんに寄り道しなくても済むように、昨日のうちに仏花を調達。

そして持ち物を準備、玄関にセッティングしました。

 

市民霊園は自宅から約11km、街中を通った郊外にあります。

教会の後だと、車が多いだろうと、朝食後すぐに出かけました。

 

1年ぶりの墓参り、

しみじみとした気分になります。

『お父さん、お母さんを守ってね。しんどい思いをしないで過ごせますように。』

 

帰宅後ひと休みして、教会へ。

教会は往復約8km、計約30kmは、4月の退院後1日での最長運転距離でした(笑)。

若い頃、1日500km運転した事もあったのですけどね。

 

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