ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

母が入院しました。脳梗塞だそうです。ラインのグループ通話が便利!

年寄りですから、いつ何があってもおかしくない

とは常日頃思っていはいるのですが、実際に目の前で起きると慌てます。

健康診断で、何の問題もなく、内服もしていない母でしたが、

いつもの通りディサービスから帰り、おやつのお饅頭を少し食べ、静かだなと思っていたら、自分の部屋の床に横たわっている母発見!

声を掛けても反応がおかしい。

呂律が回らない。

手足の麻痺は無いようでした。

血圧を測ったら、少し高めですが、正常範囲。

様子を見ている自分を測ったら、そちらの方が高かったりして(笑)

起き上がり、立ち上がりできず、意識朦朧が続いていて、これは普通ではないと119番しました。

救急隊員は、麻痺はなさそうだが、やはり脳外科が良いだろうと、脳外科のある病院を2つあたってくれましたが、だめで、結局かかりつけのいくつか診療科のある病院に受け入れてもらいました。

救急車を呼んだのが夕方6時、受け入れ先を探して病院到着は約1時間後でした。脳外科のある病院はそれ程重症ではないと判断して断ってきたような気がします。

まあ慣れたかかりつけの病院ですから、気が楽ではありますが、専門でないところが少し引っかかります。

当直は外科のDrだったようです。

CTを撮ったり、点滴を入れたり、心電図を撮ったり、ひとつひとつ時間がかかりました。

Dr曰く

「CTには出ていない。指示は入るが呂律が回らないのは相変わらずなので、入院して、明日MRIを撮りましょう。」

入院の説明を受けたり、書類を書いて病棟に上がったのが9時近く。

このご時世なので、病室には入れず、本人とはエレベーターを降りた所でさよならでした。

病棟看護師といろいろやりとりをして終わったのが10時過ぎていたような。

途中散々待たされている時、不謹慎にも

『お腹空いたなぁ』

などと考えておりました。

なんとなく、一夜明ければ元気になっているような、楽観的な見方をしていたのでした。

 

病院を出て、流しのタクシーを拾うつもりでしたが、何と周辺は既に深夜の雰囲気で、タクシーが通らない!

病院でタクシーを呼んで帰るべきでした。

バス路線の放射状の端と端なので、直線距離はそうでもなくてもバスの便はなく、結局約3Kmをとぼとぼ歩いて帰ったのでした。

脊柱管狭窄症の痛みはあるし、汚れ物(搬送で使ったタオルケット、母の衣類)を抱え、物悲しい3kmでした。

 

次の日、アメニティは契約したものの、肌着や羽織る物、タオルケット、携帯ラジオ、携帯充電器(携帯使えるかは?)新聞、ラジオ深夜便、筆記用具等を持って昼前に病院へ。(眼鏡と携帯は入院時既に看護師に託しました。)

入院の時もでしたが、体温を測られ、目的と名前を記入して入館証を貰って、病棟ナースステーションへ行きました。

もちろん本人には会えず、Drからの説明を受けました。

MRIで見ると小さな白い点が2つ。脳梗塞でした。

 

一夜明ければ元気になっていて一緒に帰る

というのは無理でした。

本人の様子を聞いたら、朝食をひとりで食べ、「言葉が出にくい」と自分で言っていたそうで、入院時よりよさそうで、ひと安心。

早速、梗塞治療の点滴と、リハビリの開始となりました。

以後、必要な物を届ける時や呼ばれた時に行く以外は、電話連絡だけだそうです。胃癌の入院の時は、食事の時を中心に毎日2~3回通ったものでした。本人ひとりでできる事は限られているし、看護師さんは忙しいだろうし、本人の心細さ、不自由さはいかばかりかと思うと、もどかしいです。

 

昨夜は、姉、弟に連絡しても無駄に心配させるだけなので、連絡せず、午後、ラインのグループ通話で、3人で話しました。

同じ話を2回せずにすみ、3人で顔を見ながら話し合いができるって、とてもよいですね。

 

地域包括支援センターとディサービスに電話で報告し、毎日のように電話をくれる母の友人からちょうど電話がきたので、簡単に報告しました。

 

今日すべき事は終わりました。

ふう

 

一昨年友人からいただいたオダマキが綺麗に咲きました

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