ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

「冷蔵庫にある物を食べてね」ではだめみたいです

イブ礼拝の夕飯は、事前に作って冷蔵庫に準備して

「〇〇と△△・・があるから食べてね」

と言って出掛けました。

帰宅して、冷蔵庫を見たら、副菜を少し食べただけで、主菜を食べていませんでした。

本人に聞いたら、「主菜も食べた」と言っていましたが、追求しませんでした。

そして昨日

音楽会があったので、同じように

「◎◎と◇◇と・・があるからね」

と言って出かけました。

帰宅して冷蔵庫を見たら、先日より更に少しの副菜しか食べていませんでした。主菜は手付かず。

本人に聞いたら、「それで足りたから」とのこと。

 

今度からはきちんと一食分盛り付け、張り紙をしなければならないかもしれません。今度試してみましょう。

本人ひとりだと、好きな物しか食べない傾向があるので、ふたりの時は、「これも食べて、あれも食べて」と声掛けするのでした。

セットして、果たして食べるかな?

健康長寿を取り上げたTV番組で、朝食は、卵2個、ヨーグルト、果物、(あと何でしたっけ?)が良いとか。

朝食をたっぷり食べるのが良いのでしょうね。

夕食は軽~く。

私は真逆です。

それがそもそも問題かな?

 

母の夕食がひとりの時は、朝食、昼食をたっぷり目にして、夕食は少しでもかまわない、とした方が現実的かもしれません。

 

健康長寿?

私は母をどれだけ長生きさせようとしているのかしら(笑)

 

一方で、50代前半の知人の訃報が入り、気持ちが沈んでいます。

余命宣告を受けていたようですが、9月には元気な姿で集合写真に写っていたのに、入院してあれよあれよという間でした。

お身内の寂しさを思うと、やり切れません。

自分の終活について改めて考えようと思いました。

若い頃、当時の身近な同僚が癌であれよあれよという間に亡くなりました。いよいよ危ないという時、身内同然だからと、病室に招き入れられました。

「”中心静脈栄養”になってしまったの」

と悲し気に話していました。

当時は”中心静脈栄養”の何たるかも知りませんでしたっけ。

当時若くて、未熟で、病床の彼女にろくな言葉も掛けられませんでした。

亡くなって葬儀に参列しても、どこか現実ではないような、冗談を言われているような気分でした。

 

高齢の方を見送るの(災害や事故での死は全く別!!)は、気持ちの整理がつき易いですが、若い方を見送るのは、辛いし、生きる事、死ぬ事について等々いろいろ考えてしまいます。

 

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