ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

「大丈夫?」の声掛け

今回、深い雪の急登で、足掛けが不十分で雪に足をとられ滑り込みのようなうつ伏せ体制にこけた。

うしろの男性に

「大丈夫ですか?」

と声を掛けられた。

身体的には何ともなかったが、心がちょっと傷ついた。

山の大ベテランらしいその男性の声に、上から目線のニュアンスを感じたから。

危険個所でもなんでもない場所でこけた恥ずかしさに追い打ちをかけられた感じ。

この2日間足元が悪く、滑って尻餅という人は何人もいたので、次元が低くて恥ずかしいが、『ベテランらしい人でも滑るし・・』と自分を慰めた。

 

山師匠の友人と歩く時、数年前から私が前を歩くようになった。彼女は私より10歳上、職場の(大)先輩である。若い時はシェラフ、食料を背負って、何泊もの縦走をしていたような山女。山歩きのイロハを教わった。頂上小屋泊の白山登山では、私がばててしまい、下りでは途中で何度もしゃがみ込み、「もう山登りはしない!」などと宣言したり。膝が笑い、コントロールが効かなくなった為、後に両足の親指の爪が剥れた。それくらいバテバテだった。40歳前の体力があるはずの年齢だったのに‥。

4人グループで登ったのだが、体力ある2人はスイスイ先を行き、リーダーである友人がサポートしてくれた。私が止まれば彼女も止まり、じっと待つ。その繰り返しだった。

そんな彼女も年齢と共にあまりハードな山歩きが出来なくなった。私がひとりで歩く事が多い理由のひとつである。

彼女と山歩きをする時、彼女がばてているなあと感じても、私は声を掛けない。かつて彼女がしてくれたように行動する。後ろから歩いてくるスピードに合わせる。足が止まったら、私も止まって水分補給やおやつを食べる。「大丈夫ですか?」の声掛けはしない。大丈夫じゃないから遅れたり止まるのだから、改めて言うべきではないと思う。言葉に出すと上下の力関係になって、彼女に失礼だと思うから。”これ以上は無理”の判断は彼女自身が下すと思うから。

 

私が年に何回も登る市民の山は麓に宿泊施設があって、地元の小学生(4年生だったかな?)が、入れ替わり立ち替わり校外学習で宿泊して、登山する。春から夏の平日に登る時は、一緒になる事を覚悟しなければならない。彼らの中には身体を動かす事が苦手な子供が当然いる。途中ばてて足が進まない子供を、他の子供が「〇〇ちゃん大丈夫?頑張って!」と次々声掛けするのを見ると。心が痛む。既にばてている子供の、心までばてるよなあと思う。声掛けで奮い立つ事もあるかもしれないが、声の掛けようもあると思う。彼らの声掛けを見ていると、あどけない残酷さを感じてしまう。

 

雪と青空とケヤキ

f:id:quetzal2013:20180206085630j:plain

 よろしければクリック応援をお願いします

   にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ