ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

人の縁とは不思議なもの 人生色々

先日教会の葬儀に参列した。

いまだに顔と名前が一致しなかったり、私が分かっていても、あちらはたぶん私を認識していないだろう、という人がいる位の規模の教会なので、教会員であっても葬儀に参列するとは限らない。

その方は90歳過ぎで、老衰で亡くなられた。特にお話をした事も無かった方なのだが、私は同じく教会員の娘さんを知っているので参列した。

「知っている」という点ではもう50年以上前からである。同じ学区だったので、中学、高校と同じだった。成績が同じ位だったので、中学では同じクラスになった事はない。同じ高校にも入る事になったわけだ。高校では進路のコースが違ったので、やはり同じクラスにはならなかった。

中学ではマドンナ的な存在で、男子の憧れの的だった。私は典型的な芋姉ちゃんだったので、彼女を見て天は二物も三物も与えるのだなあと物悲しく思っていたものだ。委員会等も同じだったので彼女も私を知ってはいたが、顔見知りという程度だったと思う。

高校、大学と進み、彼女は音楽の才能に恵まれ、見出されて留学したという話を聞いた。また、中学の同級生と結婚したのだが、これまたカッコイイ男子だった。ホント美男美女のカップルだった。結婚式がうちの教会だったそうな。その頃は私はまだ教会に通っていなかったので、知らない。

結婚式を挙げた事が縁で、その後受洗し、その縁で、母上も受洗して教会員となった。

同じ教会員であると彼女が私を認識したのがいつなのかは知らないが、少しは近しくなった。彼女の娘さんは幼稚園や教会学校で皆に可愛がられて大きくなった。お連れ合い(かつてのカッコイイ男子(笑))は受洗はしなかったが、娘さんの教会学校のお迎えで姿を見かけ、感慨深かった。

彼女の兄上は姉より1学年上だが、姉とは顔見知りらしく、同窓会で近況を話したと言っていたことがある。

彼女の父上は私たちが中学生の時病気で他界したので、亡くなった母上は40歳そこそこで母子家庭となり、以来60歳の定年まで勤め2人の子供を育てたわけだ。父上が亡くなった事は、同じ学区だったので、母も良く知っている。他にも色々あって、波乱万丈の人生を送ってきた事を葬儀で改めて知った。なんてドラマチックな人生だったのだろう。定年退職後は、カルチャーを楽しみ、派手な色の車を乗り回し、ひとり暮らしを楽しみ、溌溂としておられた。人生の先輩として、尊敬する。

同期の彼女は、かつては、私にとって、「別格の人」「高根の花」的な存在だったのだが、同じ教会員となり、特に親しいわけではないが、普通に話す間柄となった事が不思議な感じがする。

葬儀で、彼女のお連れ合いを久しぶりにお見掛けして、『ああ〇〇君だわ』と懐かしかった。年相応のダンディな男性になっておられた。

かつて若い頃の私は、自分の人生が思うように回らず、周囲を妬んだり、羨んだりしていた。それでなくても、芋姉ちゃん、芋おばさんだったのに、プラス醜い顔をしていただろうと思う。

今?芋婆さんだけど、周囲を妬んだり、羨んだりの煩悩からは解放された感じなので、かつてのような醜い顔はしていない かな?

葬儀で、遺影と御本人、彼女、親族の方々を見ながら、つらつらと考えた。

 

庭の朝顔 これも毎年こぼれ種で生えてくる。今年は色が薄い

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