ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

八重のテッセン 昔のパートのおばさん時代の記念

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何輪も咲いたので、母が一輪挿しに活けた。

20年以上前、退職して1年位経った頃、やりたい事をだいたいして、でも次のしたい仕事が絞れない時期、無職である事がいやになって、新聞の求人広告を見て大学生協の食堂のパートに応募した。午后6時間?閉店までの勤務だったと思う。責任者はそれなりの人だったが、その下の正職の調理師がパート職を人間扱いしないような人だったっけ。午前中がフリーなのがよくて、したい仕事が見つかり就職するまで1年位勤めた。

飯盛り係は、大330g中250g小190g(たぶんこんな感じのgだったと思う)を盛り分ける。最初は秤で量っていたが、そのうち手が覚えて一発で盛る事ができるようになった。プロ!(笑) 途中腱鞘炎になって受診した。先輩パートは手術まで受けていた。

大鍋で炒めたり、煮たり、水槽のような調理器で冷凍のフライを揚げたり、面白いと言えば面白かった。野菜は用途によって形の違うカット野菜であったり、ホウレン草のお浸しは解凍して盛り付けるだけだったり。栄養的にはどうなのかな?冷奴や揚げだし豆腐は仕入れた豆腐をそこで盛り付けたり調理するので、これはお客さんも分かっているようでよく売れていた。カレーや野菜炒めもカット野菜を使うがそこで調理するのでよく売れていた。

閉店後、揚げ物の調理器の周囲を拭き掃除をしていて手が滑り親指をまだ高温の油に突っ込んでしまい、しばらく通院した事もある。(本当にドジ)

パートは労災が適用されないのかな?契約の事は覚えていない。次に就いた仕事で嘱託の時代、出勤途中でこけて、転んだ場所が悪く腕に何針か縫う裂傷を負った事があった。(恥を曝していますね(笑))恥ずかしくて、自分の保険で治療したが、何ヶ月か後、「あなたのこの治療は労災に当たるので返金してください。後に労災から入金されます」という通知が来てビックリしたのだった。その後も仕事中出先で追突され労災適用になった事もあった。

次の仕事が決まったので退職する時に先輩パート(結局後輩は入って来なかった)の方々から記念で頂いたのが鉢植えの八重のテッセンだった。木陰に地植えしたら環境が合ったらしく以来毎年花を咲かせる。花を見るとパート時代を思い出す。

それまでの仕事は誰かに平身低頭するような事がない、ある意味鼻持ちならない勘違い人間になりそうな職業だったので、このパート職の経験はとてもとても貴重だった。以来、世の中が様々な職業で成り立っている事をしみじみ思うようになった。

それにしても、パート職の我々(というか出来の悪い私)を人間扱いしない上司とか、パート職の我々を物(無機物)を見るような目で見るお客さん(一部の学生や教員)には腹が立った(というより初めての体験だったので「へえ~」という感じ)。

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