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ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

胃癌 その9

胃癌

手術3日目 水分開始

朝7時半過ぎに病院へ。

本人の話によると、夜何度もナースコールしたそうだ。

(壁に掛けてあるカレンダーが何かの説明書きだと思い)何と書いてあるのか

(電灯のスイッチの小さな赤い灯りが)何度消しに行っても消えない

ふくらはぎの装置を外してくれ

本人は自分が変だったとの自覚があったので、大丈夫だと思った。

 

朝の回診で、水分OKと言われた。明日から食事が出るとの事。順調だ。

看護師が飲ませて様子を見る。大丈夫だったので、炭酸やコーヒー等以外飲んで良いとのお許しが出た。この日は水を300cc位飲んだ。通じがないので座薬を入れた。

姉は仕事があるので10時前に帰っていった。

午後車椅子に移ってみましょうと介助され車椅子へ。痛い痛いを連発。身体を起こせない。この丁度良いタイミングで大部屋にもどった。

面会時間終了近くまでいて帰宅。

手術4日目 食事開始(重湯)

朝食前に病院へ。この病院は朝食が8時で、入院している者にとっては遅いが、介助に行く者にとってはありがたい時間。

重湯、味噌汁の汁だけ、ジュース2種

痛むらしく時間をかけても重湯、味噌汁ともやっと半分。ジュースは手付かず。

硬膜外麻酔の管が外された。

一度帰宅。庭仕事。草取り、家庭菜園の土作り、苗作り等する事がたくさん。昼食にあわせ再び病院へ。

尿管も外され、車椅子の介助でトイレに行ってきたところだった。ベットに戻っても、痛みの為悶絶。しばらくは食事どころではなかった。

重湯、みそ味具無し茶碗蒸し、ジュース2種

重湯、茶碗蒸しは、時間をかけ完食。朝のジューース100ccのを後で飲んだ。

午後、師長がダンピング症状について資料と共に説明してくれた。

ようやく排便あり。

夕食 朝と同じ。ジュース200ccは飲めなかったが、他は完食。

順調だ。

手術5日目 五分粥

朝食に合わせ病院へ。

夜ナースコールをせずに尿パットに排尿したそうだ。せん妄の時は何度もナースコールしても、正気に戻ると引っ込み思案の性格が出て必要な訴えができない母である。トイレで排泄するというのは人間の尊厳で基本的な事なのだが・・・

朝食 五分粥、軟菜食。 味噌汁と煮びたしを少し残しただけで、主菜の卵とじと粥は完食。

私中抜け

昼食 ジュース以外完食

私中抜け

ベッドの端に腰かけてしばらく過ごす。

夕食 完食

私がいるとトイレと言うのでナースコールしてあげトイレに行く。ひとりの時はナースコールしないで尿パットに排尿することもあるようだ。ぎりぎりでナースコールしてトイレで間に合わずズボン類を全部交換という事もあったらしい。

歩きましょうと言われても「痛いからいや」と言う。

手術6日目 五分粥 ドレーンが外された

やはり夜トイレに行っていない。

通じがないので座薬使用。

昼食の最中トイレと言う。車椅子で行き、帰りは歩いて帰って来た。良かった良かった。

洗髪の許可が出たので洗髪台で洗ってあげた。痛む為深く下を向くことができない。部分的だがパジャマを濡らしてしまったので、工夫が必要だと思った。

週末だったので昼頃弟が来た。気晴らししてきたらというので、お言葉に甘え近くにハイキングへ。2時間くらい近郊の森を散策した。日頃からひとりであちこち出かけている。

帰宅しシャワー、洗濯の後、就寝のケアに合わせ病院へ。

弟とリハビリの為廊下を歩いたそうだ。この歳でこの回復力はすごいと褒められたそうだ。

手術7日目 全粥 点滴終了

朝は私が行き、昼前に弟と一緒に病院へ。

今日から全粥で副食は軟菜というだけ。8割位食べた。当初5回食の予定だったが、順調だったので、その対応は必要ないと判断したようだ。

昼食が終わったところで弟にまかせ私は帰宅。午後姉が直接病院へ。弟も病院から直接帰り、私は夜就寝のケアと姉の迎えに病院へ。夕方最後の点滴が終了したそうだ。身軽になったので、トイレは、移動介助だけになった。