ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

胃癌 その4 ここまでで思った事

このままこの病院で良いのだろうか?

ネットで色々調べたり、闘病記を読んでいると、納得するまで医師に聞く、セカンドオピニオンについて遠慮せずに申し出る、等の記載があるが、母の場合、あれよあれよという間に検査、告知、手術の話と進んで行ってしまった。最初の胃の内視鏡の時の診察の時に、医師は、ここで(この病院で)このまま進めて良いか?の確認が必要なのではないのか?呆然としている状態でその日のうちに次々検査が入ったのはどうだったのか?その病院が癌の治療もしているとは、その時まで知らなかった。

最初の診察の後、やはり、掲示してある医師の経歴を見たり、地域の胃癌の専門(得意)病院も調べた。姉、弟にも相談した。結果その病院で治療を受けることにした。その病院は自宅から近く通いやすい事、整形外科にも通う事、高齢の母が別の病院での新たな検査や、診察は負担であろうという事、医師の経歴が信頼できそうだった事等から。

大きな病院だったら、このような短期間にすべての検査はできなかっただろうし、入院は最初の検査の16日後、手術は18日後と、治療までこんな短期間でできなかっただろう。

この後も色々.思うところはあったのだが、良い面を考える事にした。

 

最悪の事を考えた

最初に画像を見た時、一目瞭然「癌」だと思った。クレーターのような形で、素人目には深く見えて、医師が切れば大丈夫と言っても信じられない気がした。検査の結果転移が見つかるのではと不安で、眠れぬ日が続いた。同居家族の私が全く気が付かなかったとは。以前からよく咳をするので、医者に行こうよと言うが、なにせ医者嫌いの母なので無視され続け、勝手にしろ!状態だったので、もし、肺に何か見つかったらどうしようという思いも強かった。

こういう時って怖くてネットで調べる気にならない。あのクレーターの画像が出てきて「進行癌です」なんていう説明だったら立ち上がれないもの。でも何日か経ってこうはしていられない、と調べ始めた。癌については色々詳しいサイトがあって、なるほどと思った。病院については、上記のような事を考えた。闘病記については、色々参考にさせていただいたが、高齢者の癌闘病記は見つけられなかった。私のような介護者の立場のものも。

検査結果は、転移なく、肺も大腸も問題ないという事だった。手術しないと、正確なステージはわからないが、切ればそれで終了と言われ、ほっとした。

 

母をどう見送る事になるのか考えていなかった

88歳まで大腿骨骨折で2ヶ月入院した以外、内科的には健康そのものといった母だった。骨折による下肢筋力低下はあり杖歩行なので、リハビリの為週1半日のディサービスを利用はしていたが、決まった場所にはひとりでバスで外出していた。日常生活も自立していた。多少物忘れが多くなっていたので、なにげなく見守りしていた。祖母は70歳で白内障、80歳で大腿骨骨折で手術を受けているのだが、偶然母も同じ年齢で同じ手術を受けていた為、本人は、94歳で脳梗塞、4年弱寝たきりで家族の介護を受けた後他界した祖母の病歴を自分もたどるだろう、と何の根拠もなく思っていた。周囲は、そうは思っていなかったが、どういうふうに見送る事になるのだろうと、考えた事がなかった。それが「癌」とは!へたをすると、遠からず見送る事になるのかもしれない。予想外の事態に呆然とした。呑気な話だ。充分に高齢でいつ何があってもおかしくないのにね。父は多発性脳梗塞と腎不全で1年半の闘病の後他界、その前5年程認知症状もあり、母が介護していた。祖父母4人共脳血管疾患が原因でなくなっていたので、「癌」は遠い話だった。でも考えてみると母の母方の祖父母(私の曾祖父母)は二人とも胃癌で亡くなっていた!従弟も胃癌で8年前に手術を受けているし、従妹2人は乳癌、子宮癌だった!3人共完治している。