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ケツァールの時々日記

米寿の母が胃癌になった!治った!の話から始めましょう

未破裂脳動脈瘤 その4 検査入院

未破裂脳動脈瘤

入院が近付き、姉が来るという話と共に、母に話した。

意外に驚かなかった。ちょっと拍子抜け。良かったけど。

 

姉に車で送ってもらって入院。

入院はひとりで良いと思ったら、検査の説明には身内の同席が必要との事で改めて姉に来て貰った。私が認知症かとかそういう事ではなく、後で言った言わないにならない為証人として同席者が必要という事なのだと思う。

最初夕方5時に来て下さいと言われたが、手術が長引いた為夜の7時になった。

説明を一緒に聞き、何枚か書類に署名。

 

入院中

受付時 身長体重測定

病室に入って  病衣に着替え、採血 採尿     

        血圧測定、検温は自分でとノートを渡された。

検査  頭部CT レントゲン(胸部、頭部) 心電図 肺活量 

      心臓エコー MRI 視力検査 視野検査

 

DSA(digital subtraction angiography)要するに血管撮影

朝食抜き、手術着に着替え、尿管を入れ、オムツを着け、弾性ストッキングを履き、点滴開始。

間もなく検査室へベッドで移動。

検査台へ自分で移動。

鼠径部に局所麻酔の注射をされ、カテーテルが入る?この辺は説明されてもよく分からなかった。

そのうち左の頬と口の間?が温かい感じになり、医師の声かけで左頭部に稲妻というか線香花火のような光がはしり撮影。それが何度か。どうも研修の医師の練習台にされたらしく、時間はかかるし、造影剤も多く使ったらしい。あからさまには言わないが病室に帰る時、Ns に「長くなってごめんなさいね」とそっと言われた。

それから6時間足を動かしてはいけないと言われ、辛いのなんのって。

2時間経つと水分を摂っても良いとの事で、Nsにストローで少し飲ませて貰った。問題なかったので、食事OK、おにぎりは自分で食べたが、他は姉の介助だった。

腰が痛くて大変だった。途中バスタオルで体位変換をして貰ったが、一時的なもので、またすぐ痛くなる。時間の経つのが遅い事!

6時間後動いて良いとなっても腰が痛くて起き上がれないし、ひとりで下着もはけなかった!その夜は腰が痛くて良く眠れない程で、湿布を貼って貰った。

次の年の同じ検査の時Ns 曰く

「片方の足は動かして良いですよ。去年両足だったの?大変だったね。」

6時間より短い時間の時もあって止血が不十分で出血する事もあってこの時間になったらしい。病院も試行錯誤なのかな?

 

造影剤を入れてのMRI

 

医師との話し合い

入院した時は医師はクリッピング術を考えていたらしいが、検査の結果、左目の奥で開頭だと行き着くのが大変らしい。コイル塞栓術もリスクがあるし、再発の可能性がありフォロー検査が必要。リスクは同じ位とは言っていたが、ニュアンスとしては、コイル塞栓術を奨めている感じだった。

姉とも話し、コイル塞栓術をお願いすることにした。

その場で入院日と手術日が決まった。

血栓が出来ないよう手術前5日間の服薬期間があり、それを含め15日間位の入院となるとの事だった。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その3 治療することにした

未破裂脳動脈瘤 介護

半年毎の検査の5回目の頃、65歳まで働く意欲が失せて2年で退職して半年、ハローワーク通いも終わり、友人と1週間の旅行で家を留守した。

当時は母も2泊位はひとりで留守番できたので、姉や弟に途中に来てもらう位で家を空けられた。

姉曰く、「〇〇ちゃん(私の事)がいないと、とてもしっかりしているんだよ。この家の主(あるじ)の自覚がでるみたい。」

弟も同意見だった。

 

そこで私は考えた。治療できるのは70歳まで、後になればどんどん母は留守番ができなくなる。今なら所々来て貰えるだけで、入院期間を乗りきれる。治療するなら今だ。

知らぬが仏の話をしても仕方がない。知ってしまったのだから。

姉、弟に協力を頼んだ。

 

受診して、治療する事に決めた旨話した。

治療方針を決める為の検査入院の日程は、改めて連絡をくれるとの事で、入院の書類を貰った。。

混んでいるので、1ヶ月以上先になるとの事だった。

さてどういうタイミングで母に話そうか。次なる悩み。

3週間後位に電話が来て、さらに1ヶ月後位の入院日を告げられた。

具体的になったので、ネットで闘病記を読みまくったり、入院に便利な物等の情報を調べたり。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その2 検査

未破裂脳動脈瘤

紹介状を持って病院に行った。当時は土曜日に検査も診察もしていて、その日のうちに結果も出て医師の説明も聞けた。

最初の検査と同じく、左内頸動脈末端に約7mmの脳動脈瘤がある、との事だった。

ミッキーマウスの頭のような形をしていた。

医師「治療を奨める基準(ガイドライン)に該当するので考えてみてください。決めたら改めて来て下さい。」

ガイドラインを書いた用紙を渡され、色々説明をしてくれた。当時の治療方法には、クリップ術とコイル術がある事を教えてもらった。

 

年寄りを抱えている身では簡単に入院出来ない。

健康で頑丈だと信じて疑わない娘(私)が入院だなんだとなったら、母はショックを受けるだろう。

破裂するパーセントが低い。(年に1%、5年経ったら5%・・そういう計算になる?違うような気がする) 破裂しないで一生を送る可能性の方がずっと大きい。

10日間位ネットでも色々調べ、治療のリスクの方が大きい事、今母に教えたらショックでどうなるか心配だった事、入院となったら、留守の段取りがとても大変な事、当時は65歳まで延長雇用で働こうと思っていた事、等々考え、経過観察を選ぶことにした。

受診して、経過観察にすると話した。

医師「そうですか。それでは3ヶ月後にまた検査を受けて下さい。」

3ヶ月後、検査、日を改めて受診。(同じ日に診察を受けられない)

 変化なし。また3ヶ月後に、検査予約。

3ヶ月後に検査、日を改めて診察。

同じく変化なし。以後半年毎となった。

以後半年毎の検査を5回。その度に

「形がイビツなので治療した方が・・カテーテル検査だけでもしては?」

「気が変わったらいつでも来て下さい」

 

姉、弟には話していたが、母には黙っていたので、退職後は、検査や受診の為の外出をごまかすのが大変だった。

 

つづく

 

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未破裂脳動脈瘤 その1 発見

未破裂脳動脈瘤

60歳になる年、職場の健康診断で、5年毎に受けられるオプション検査を申し込んだ。そのひとつが脳のMRIと簡易脳血管撮影だった。

55歳の時は脳血管撮影はなかったので問題なしだった。

それが何故かこの年脳血管撮影もあった。その後の年のオプションにはなかったと同僚から聞いた。オプションを申し込まなかったら、知らぬが仏で天寿を全うしたかもしれない。くも膜下出血で亡くなったかもしれない。重度後遺症で、介護状態になったかもしれない。別の病気や不慮の事故で亡くなったかもしれない。それはわからない。でも検査を受けてしまった!

検査後呼ばれた。

「脳動脈瘤があるようなので精密検査をお奨めします」

え?!何ですって?

画像を見たら確かにいびつな瘤があった。

「紹介状を書くので、何処の病院にしますか?」

自宅からは少し遠いが脳疾患専門の病院にした。

 

何だかぼんやりして、本当かなあというのが最初の感想だった。

 

つづく

 

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別のスイッチが入った?

介護

いつも、朝、その日の予定をお互いに再確認する。

ある日の事

母、午後1時に知人との約束があるので早めの昼食を摂って出かけるとの事。

私、10時頃出掛け午前中かかるので、帰りにひとりで買物をして帰る事にした。

(買物は基本的にふたりで行く。カートを押して店内を歩くのはとても良いリハビリだし、母は買い物が好きなので)

「すれ違いになるので会えないね」と話をして、しばしそれぞれの時間を過ごし、9時30分頃私が出掛ける準備をしていたら、母が何やらバタバタと出かける準備を始めた。丁度私の携帯に電話が掛ってきたので、話をしながら、玄関から出ようとする母を止めた。焦った~

携帯電話を切り、話を聞くと、「10時待ち合わせだから遅れる!タクシーで行こうと思って。」と母。

私「それは昨日の事でしょ。今日は午後1時だから早お昼を食べて出掛けるってさっき話していたよ。」

母「あゝそうだった。何だか慌てちゃった。」

ついさっき話していた事なのに・・

そしてその日の夜

夕飯の食器洗いは母の担当。食器以外は片付けた状態で頼んでいる。

母「給湯のランプがおかしい」

私「何が?」

母「スイッチのランプの色が違う。全部赤になっていない。」

壁にあるスイッチの給湯のメインスイッチの緑が赤のはずだということらしい。

私「いつもこうでしょう」

母「そうだった?」(納得していない様子)

 

こういう事が増えていく?

どう対処したらよいのか?

福祉業界にいたのに、自分の親だと戸惑うばかり。

89歳の今から検査する?薬飲む?成り行きに任せる?

 

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国民健康保険

これからの生活

昨年、3月で任意継続保険が切れたので、国民健康保険の手続きに行った。

番号札を取り椅子に座って待っていたらそばに、「確定申告して、税金の還付があったとしても、還付の額を上回る保険料になる事があるので、確定申告をするかどうかは慎重に」という掲示があった。国民健康保険のガイドブックにもあるのだが、どういうことなのかよくわからない。

ガイドブックを読んで勉強してみよう。私の頭でわかるかな?自信がない・・

 

退職する時、国民健康保険にするか、任意継続保険にするか迷ったが、計算したら最初の年は国民健康保険と、任意継続保険の差が月1万円位あったので、任意継続保険にしたのだった。私の計算が正しいかは疑問だが国民健康保険の保険料の高さにびっくりした。

自治体でもずいぶん差があるそうで、私の習い事の先生の自治体(隣の自治体)の健康保険料は全国的にも上位の額なのだそうだ。

今年度の私の保険料は月1万円未満。有難いというか、申し訳ないというか。

 

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入院準備

未破裂脳動脈瘤 介護

2年目の検査入院が近付いたので準備中。(未破裂脳動脈瘤の闘病記(大袈裟!)は、改めて)

1年経つと色々忘れていて、何か不備がありそう。

昨年と違うのは、母の入院時と同じように、入院物品レンタル契約になった事。余計な出費になってムッとしている。4日間で1000円位だが、納得いかない出費は1円でも嫌。と言いつつ黙って従う内弁慶な私(笑)

それはさておき

準備その1

主婦(家事をする人の意味)、年寄りを抱える者の立場だと、留守中の段取りの方がずっと大変。留守番というか母の見守りや家事の為、弟に一泊、姉に二泊頼んだ。寝具のチェックと準備(済んだ)、食料品、ビール等の買い置き等。食料品等は前日の仕事。あと掃除も。

2日目の夕飯は母ひとりなので、いつも利用している食材宅配の業者にこの週は冷凍弁当を注文した。食べても食べなくても良しという事で。

あとは弟、姉におまかせ。

帰宅して最初にするのは、掃除。洗濯は多分していてくれると思う。

あとはその日の夕食から作らなければならないだろうな。今までもそうだったから。

 

準備その2

高額療養費限度額適用認定証を貰いに行く

昨年はまだ任意継続の保険だったので前もって申請しておいた。非課税世帯だったので、非課税証明を貰って申請したので手間がかかった。今年は国民健康保険で、入院の通知が来た時ネットで調べたら、“後で通知が来たら申請する”とあった。入院日が近付いて、もう一度我が自治体のホームページで調べたら、事前に申請して認定証を貰えるという。私はどこで調べたのかなあ ?  ともかく貰いに行った。即貰えた。それだけの為に出かけたので、交通費が勿体無かった。私の限度額は57600円。その上の所得だと限度額が80100円なので、たぶん認定証は必要ない。昨年は非課税世帯だったので限度額は35400円。2年前の治療の為の15日間の入院では57600円の限度額だったっけ。

 

 つづく・・ 

 

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